開戦以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 17:01 UTC 版)
太平洋戦争開戦時の兵装は以下と推定される。 14cm連装砲2基、同単装砲2門 13mm連装機銃2基 7.7mm単装機銃2挺 5cm礼砲2門 61cm連装発射管2基 八年式魚雷定数4本、予備6本(計10本) 八一式爆雷投射機2基 爆雷投下台2基 爆雷18個 舷外電路 開戦直後のウェーク島攻略作戦では対空火力の不足に直面し、1942年1月3日から13日のトラック在泊中に5cm礼砲2門を撤去、艦橋横に13mm連装機銃を両舷各1基(計2基)を装備した。 3月25日トラックに入港し、4月1日から11日に間に後部(1番、2番発射管の間の機銃台上)13mm連装機銃2基を25mm連装機銃2基と交換、艦橋に防弾板(天蓋10mmDS鋼、前壁側壁8mm)を装備した。代償重量として爆雷投射機2基(装填台、爆雷投下箭も)や6m通船、中錨、旧8cm高角砲支筒、魚雷取り入れ用ダビットとブーム(片舷)、烹炊室及暖房用補助缶などが撤去された。 5月23日横須賀港に帰港し、横須賀海軍工廠で同日から6月19日まで修理を行った。この時に前後マストを短縮、魚雷頭部に防弾板装備、逆探を装備したと思われる。 第一次ソロモン海戦に参加した夕張は機関故障を起こして中央軸が使用不能となり、12月9日から翌1943年(昭和18年)3月22日まで横須賀海軍工廠で修理が行われた。この時は、中甲板舷窓の全てを閉塞、艦橋両舷にあった13mm連装機銃を25mm連装機銃に換装したものと思われる。 同年7月5日艦首に触雷、7月30日から10月16日まで横須賀で修理が行われた。この時は九三式水中聴音機と九三式探信儀を装備、艦橋上の90cm探照灯を撤去して22号電探を装備した。(艦尾4番砲を撤去し25mm3連装機銃1基を増備した可能性もある。)
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