大日本帝国陸軍の大将とは? わかりやすく解説

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大日本帝国陸軍の大将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:00 UTC 版)

陸軍大将」の記事における「大日本帝国陸軍の大将」の解説

戦前日本陸軍では陸軍大将官吏区分最上級である親任官位置し内閣総理大臣枢密院議長と同じ格付けであった中将から大将への進級法的には「陸軍武官進級令に依り、同令第10条には「中将大将進級セシムルニハ歴戦者又ハ枢要ナル軍務経歴ヲ有スルニシテ功績特ニ顕著ナル者ノ中ヨリ特旨ヲ以テ親任スルモノトス」とある。初期武官進級令では条件歴戦者で功績顕著なであったが、日露戦争以後これといって戦時がなかったため1906年明治39年)、「枢要ナル軍務経歴」が加えられた。 ここでいう枢要な軍務とは陸軍三長官である陸軍大臣参謀総長教育総監の他、航空総監陸軍次官参謀次長築城本部長技術本部長等本部長職・軍司令官師団長警備司令官造兵廠長官を指す。 次の階級進級する目安となる実役停年内規によって6年(令では4年)で、これを満たした中将の内先任順審議以って天皇奏上する。尤もこの内規の6年1941年昭和16年11月5年短縮されることとなる。これは東條英機中将首相就任に伴い年数満たない東條進級させるための特例である。従前規定では篠塚義男中将先に大将進級の議にかけられるはずであった東條先を越され篠塚大将進級することはなかった。 大将いわゆる定年実役定限年齢)は65歳定められており、65歳までに終身現役である元帥に列せられなければ予備役編入される太平洋戦争大東亜戦争末期1944年昭和19年)に内閣総理大臣に就任した小磯國昭は、1938年昭和13年)に予備役となっており、以後拓務大臣朝鮮総督務めていたもの大戦戦況が全くわからない状態だった。首相就任後戦争概略知らされたものの、以後戦況把握するために設置した最高戦争指導会議は殆ど機能せず、小磯大本営メンバーにもなれなかったため首相在任中天皇御前今後作戦について下問されても答えることができなかった。 対米開戦以後中将戦死者続出したことから、中将戦死した者のうち、武功顕著親補職2年半以上経験した者の中から陸海軍協議により大将進級させる内規ができた。この内規によって7名の陸軍中将陸軍大将進級した栗林忠道この年限が足りないものの、特旨によって進級した陸軍では兵科のみ大将があり、主計軍医などの各部将校相当官陸軍に於いては1937年昭和12年2月以降より各部将校とされる)は、海軍同じく中将までとされ大将がなかった。

※この「大日本帝国陸軍の大将」の解説は、「陸軍大将」の解説の一部です。
「大日本帝国陸軍の大将」を含む「陸軍大将」の記事については、「陸軍大将」の概要を参照ください。

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