モハ1251形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:36 UTC 版)
「南海1251形電車」の記事における「モハ1251形」の解説
難波から当時高野線の終点であった高野下を経て、高野山電気鉄道線の極楽橋までの直通運転(大運転)に運用する目的で設計・製作された車両である。1938年に1次車が製作され、もっとも在籍数が多くなった1956年4月9日の時点で1251~83までの33両が在籍した。台車はビルドアップ・イコライザー型の汽車製造製K-16、主電動機は1251~76がMB-146-SFR ×4、1277~83がMB-146-TF ×4と南海線用中型車のモハ1201形と共通品を採用しており、ギア比は62:21、制御器は電力回生制動機能を備えた東洋電機製造製AUR-11であった。なお、1956年にクハ1831形を電装した1281~83は多段式のAUR-17-Nを当初から装備し、他の車両も順次多段式に改造された。また並行して速度向上のために誘導分路方式による弱め界磁段の2段切り替え化と、これによる平坦線でのスピードの引き上げも全車に対して行われた。なお、初期新造の1251~1258はモハ2001形の昭和11年型に準じた扉間転換クロスシート車として製造されていたが、1253以外は戦時中にロングシート化され、残る1253もロングシート化済みの1255・1258と共に空襲で被災したため、一旦クロスシート車は消滅した。その後、後述の特急「こうや号」運行開始後に整備が実施され、専用車として指定された1251・1252・1254は再度転換クロスシート装備に復元されている。1956年4月9日時点で、1251・52・54・56・57・59~61が戦前型車体、1253・55・58・62~83が戦後型車体であった。同年5月7日に1282・83がクハ1891形1894とともに紀伊細川~紀伊神谷間のトンネル内で1283からの発火により全焼、そのまま廃車となった。 特急「こうや」への使用 1951年から1961年まで、高野線の看板列車である特急「こうや」に本形式がクハ1900とともに使用された。詳細はこちらを参照されたい。
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