モハ121形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:36 UTC 版)
南海鉄道初の電車であった電1形からの鋼体化名義で同形式の台車と主電動機を流用し、19両が製作された。台車はBrill 27-GE-1、主電動機はWH-101-H ×4で、ブレーキは当初SMEブレーキを装備したが、これは後にAVRブレーキに換装された。車体長を15m級に抑えても主電動機は出力不足であったため、全車とも1938年までに一旦電装解除して制御車化されている。なお、1933年に同型の車体を持つ制御車クハ715形が1両のみ製作されており、これと合わせた20両が初期型車体グループのすべてとなる。 お召し列車への使用(1932年) 1932年(昭和7年)の陸軍大演習に際し昭和天皇の乗用に竣工直後の本形式が使用された。123に御座所を設けこれを124・126の2両で挟んで3両編成のお召し列車として運行された。
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