民間船舶会社が運航する航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:27 UTC 版)
「青函航路」の記事における「民間船舶会社が運航する航路」の解説
1861年(文久元年)に青森の滝屋喜蔵が箱館奉行所(再置後の箱館奉行、正式名は箱館御役所)への荷物輸送目的で、箱館定飛脚問屋取次所を開設し、5日1回の頻度で帆船による定期運航をしたことが始まりである。 1873年(明治6年)2月には長州出身の小田藤吉が函館~青森間にブラキストンから購入した汽船マギー・ローダー号を青開丸と改称して1ヵ月4往復の頻度で就航させた。 1879年(明治12年)6月30日に郵便汽船三菱会社(のちの日本郵船)が開拓使の代わりに浪花丸をほぼ隔日で就航させ、開拓使は付属船による青函航路を廃止した が、青函連絡船の就航により料金、速度、船室が劣る日本郵船は1910年(明治43年)青函航路から撤退した 。 戦後は1964年頃に青森の財界が青道フェリーを設立して就航しようとしたものの、免許取得ができず、大間函館航路を運航していた道南海運との合弁で東日本フェリー(初代)を設立し、1967年(昭和42年)に就航。 2019年現在、以下の2ブランド3社が運航している。 津軽海峡フェリー(旧:東日本フェリー・道南自動車フェリー)によるもの。 北日本海運と共栄運輸が共同運航している青函フェリーによるもの。
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