進駐軍専用船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
進駐軍専用船となったW型第十一青函丸・第十二青函丸とともに、進駐軍の命令により、1947年(昭和22年)4月には前部デッキハウス客室内の前側の右舷側半分を木製壁で区切って将官用の特別室とし、その左舷側半分はソファーとテーブルを置いて開放のラウンジとした。また将官用特別室の後ろに続く前部デッキハウス客室右舷側半分を長椅子ソファーと長テーブルを設置した食堂とし、その後ろの配膳室を拡張して厨房とした。前部デッキハウス客室左舷側は長椅子ソファーの椅子席で、後部デッキハウスは全て長椅子ソファーの椅子席であった。また前部、後部両デッキハウスとも船尾側左舷に男子用トイレ・洗面所、船尾側右舷に婦人用トイレ・洗面所が設置され、これらは全て洋式であった。 元設計のW型第十一青函丸・第十二青函丸は新造時よりボイラー5缶、煙突3本で、H型石狩丸はボイラー6缶、煙突4本で識別できたが、ともに前側煙突が細く、船首部の船型に差異はあったものの、両者はよく似ていた。またH型の車両甲板船尾開口部が2本の梁柱で3分割されていたため、開口部に梁柱のないW型と識別できた。 1946年(昭和21年)の石狩丸竣工の頃、GHQには大型船建造規制として、総トン数5,000トン未満、速力15ノット未満という不文律があり、従来からのW型の航海速力15.5ノットはこれに抵触するおそれがあったが、青森 - 函館間の通常の上り4時間40分、下り4時間30分運航では14.8ノット程度で定時運航可能なため、石狩丸ならびにそれ以降竣工の同等速力の青函連絡船は航海速力14.5ノットとされた。
※この「進駐軍専用船」の解説は、「石狩丸 (初代)」の解説の一部です。
「進駐軍専用船」を含む「石狩丸 (初代)」の記事については、「石狩丸 (初代)」の概要を参照ください。
- 進駐軍専用船のページへのリンク