進駐後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 05:30 UTC 版)
「多摩サービス補助施設」の記事における「進駐後」の解説
1945年(昭和20年)9月にGHQが駐留を始め、翌1946年(昭和21年)11月には接収され空軍の弾薬庫として使用されていたが、横田基地の第3爆撃航空団(3BW)がアメリカ本土に移駐してからは山田弾薬庫(福岡県北九州市)から横田基地へ直接弾薬が搬入されるケースが多くなったため、1960年代後半には施設の遊休化が目立つようになっていた。 また、アメリカ軍は1950年代からレクリエーション施設として昭島住宅地区(東京都昭島市)のゴルフ場(現・昭和の森ゴルフコース)を使用していた。これに対し土地所有者である昭和飛行機工業は、1952年(昭和27年)の行政協定でアメリカ軍へ一時使用施設として提供した際の用途(極東空軍航空資材廠A地区として提供)では使用されていないことから返還を求めて訴訟を起こし、東京地裁は1964年(昭和39年)6月に返還を命じる第一審判決を下した。最終的に日本政府は上訴せず和解の方針を採り、昭島住宅地区は1968年(昭和43年)に全面返還されたため、代替施設として多摩弾薬庫にゴルフ場が建設され1969年(昭和44年)から運用が始まった。なお、多摩弾薬庫は同じ頃にキャンプ王子(東京都北区)の陸軍病院移転候補地に挙げられていたが、搬送ヘリの騒音やマラリア患者の収容といった問題の影響で移転に対する地域住民の理解が得られる見通しが立たず、移転計画は中止となった。 施設がある場所は住宅地と隣接した豊かな緑地でもあり、東京都は国に対し返還を求めるよう強く働きかけている。1998年(平成10年)2月に、施設の北側を通る「川崎街道」の拡幅のため、敷地の一部の返還について日米合同委員会で承認され、2000年(平成12年)12月に施設の一部が日本に返還された。
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