患者の収容
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当該女性に対して、この施設の存在をどのようにして広報するかが大きな問題であった。内容が内容だけに、慎重な対処が求められた。そこで採られたのが、引揚船の医師を通じてのビラの配布であった。そこには「不法な暴力と脅迫で体に異常を感じつつある方は、診療所へ収容し健全なる体にする」旨が記されていた。婉曲的表現になっているのは被害に遭った女性に対する配慮である。また、すでに引揚が完了し全国に散っていった女性に対しては、有力紙に前述のビラと同様の「本人にはわかるような」婉曲的表現の広告を出し、施設の存在を知らせていた。 博多港では、博多引揚援護局が、博多検疫所および女子健康相談所を1946年4月25日に設置し、妊娠、違法妊娠、性病の検査・問診を行い、選別された対象者を国立福岡療養所や二日市保養所に送致していた。当初は自己申告または一目で明らかな妊婦を検診していたが、それではすべてを把握できないということで、14歳以上すべての女性を検査する方針に変更になり、そのために博多の現場には婦人検診室も設けられた。国から違法な妊娠中絶の施術を強制された医師はその不本意を述べている。 二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から2か月間で強姦被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮28人、ソ連8人、支那6人、米国3人、台湾・フィリピンが各1人だった。1947年秋の施設閉鎖までに約400~500件の堕胎手術をおこなったと推計される。
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患者の収容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 21:38 UTC 版)
周防は、日本での無らい県運動に倣う形で半島でも熱心に患者を収容した。患者を地域ごとにボスの下に組織化しボスと共に一党まるごと大勢で入所するという方法が採られ、(内地での収容が多くても数十名だったのに対し)一度に数百名の単位で収容するなどスケールの大きさに会議では問題にならなかったというエピソードがある。
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