発足に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 01:21 UTC 版)
1876年(明治9年)、清のアモイから寄港したアメリカ海軍の船内からコレラが広まり、国内で爆発的な流行となった。日本では、既に江戸時代末期より、幾度と無く多数の死者を出す流行が見られており、早期対策の重要性を認識していた明治政府は、虎列刺病(コレラ)予防心得(内務省)とともに避病院仮規則(警視庁)を整えた。実際には、1878年(明治11年)頃から日本各地で避病院の設置が進められ、患者の収容・隔離体制が整えられた。 江戸時代においては天然痘が発生した場合、熊本県では天草の下馬刀島に隔離し、死後墓を建てたという。
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