発足から解散までとは? わかりやすく解説

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発足から解散まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)

皇典講究所」の記事における「発足から解散まで」の解説

1882年明治15年)- 神道事務局後継団体として発足神職教導職兼務廃止となる。3府40県に皇典講究所分所設置される初代文学部長に矢野玄道初代総裁有栖川宮幟仁親王就任校地東京府麹町区飯田町現・東京都千代田区飯田橋)に定め皇典講究所が開黌。 1884年明治17年)- 皇典講究所官立移管運動が展開(- 明治18年明治19年幟仁親王薨去により頓挫1887年明治20年)- 皇典講究所第1回卒業式同窓生の会「穂会」発足。(國學院大學院友創始とする) 1888年明治21年)- 府立一中校長丸山淑人松野勇雄元田直今泉定助らが皇典講究所補充中学校設立。後に私立学校共立中学校改組1889年明治22年)- 山田顕義皇典講究所初代所長就任皇典講究所内に日本法律学校設立。(日本大学法学部前身1890年明治23年)- 皇典講究所教育機関として國學院設置1893年明治26年)- 日本法律学校司法省指定学校になり、同校卒業生判事検事登用試験受験資格与えられる1894年明治27年)- 共立中学校城北中学校改称し東京府移管。(都立戸山高校城北中学校・高等学校などの前身1895年明治28年)- 日本法律学校大日本教育会神田区一ツ橋通)内に移転1896年明治29年)- 日本法律学校財団法人改組皇典講究所から組織的独立1898年明治31年)- 皇典講究所財団法人として認可される1899年明治32年) - 内務省より神職養成事業委託される1900年明治33年)- 禮典調査会設置1909年明治42年)- 神職養成部を設置1923年大正12年)- 渋谷氷川御料地移転1930年昭和5年)- 神殿鎮座1944年昭和19年)- 國學研究所設置1946年昭和21年)- 連合国軍最高司令官総司令部占領による圧力対抗し1月発展的に解消した翌月宗教法人神社本庁設立大日本神祇会神宮奉斎会とともに統合し3月単独法人として財団法人國學院大學学校法人國學院大學前身)を設立した

※この「発足から解散まで」の解説は、「皇典講究所」の解説の一部です。
「発足から解散まで」を含む「皇典講究所」の記事については、「皇典講究所」の概要を参照ください。

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