発足 – 国防軍情報部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「発足 – 国防軍情報部」の解説
第一次世界大戦中、ドイツ領東アフリカの指揮官パウル・フォン・レットウ=フォルベック将軍はたくみにゲリラ戦を指揮し連合国植民地軍と戦った。同時期中東では、T.E.ロレンスがオスマン帝国に対するアラブ反乱で、アラブ人のヒット・アンド・ラン戦法を駆使して大きな成功を収めていた。テオドル・フォン・ヒッペル(en: Theodor von Hippel )大尉はアフリカにおいてレットウ=フォルベックの下で従軍し、戦後、レットウ=フォルベックおよびロレンスによって考案されたゲリラ戦術の熱烈な支持者となった。 ヒッペルのビジョンはSASを創設したデイビッド・スターリングを連想させる。ヒッペルは、高度なサボタージュおよび外国語会話の訓練を施し、敵後方の指揮・通信・兵站を混乱に陥れる作戦を行う小規模のエリート部隊の創設を考案した。ヒッペルが国防軍に提案したとき、彼のアイデアは却下された。プロシアの保守的な将校達はこの隠密型の戦闘行為は戦争のルールを侮辱し、このような戦闘に従事するものは兵士と呼ぶにふさわしくないとみなした。ヒッペルはくじけず、彼のアイデアを国防軍情報部の指揮官ヴィルヘルム・カナリスに直接具申した。ヒッペルは国防軍情報部第2課に配属され、彼のビジョンを実現する任務を与えられた。
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