指揮・通信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 17:19 UTC 版)
ハルゼーは第5艦隊を引き継ぐ際に旗艦として空母部隊に随伴可能な速力を持ち、航続距離に優れる艦載機を持つ敵機動部隊に間合いを詰めた際に、敵の攻撃から司令部機能を喪失しない防御力を持つ艦としてアイオワ級戦艦を要求、これは受け入れられハルゼーは24日にニュージャージー(USS New Jersey, BB-62 ) を率いて真珠湾を出港した。同艦は26日にサイパンに到着し、ハルゼーはスプルーアンスから指揮を引き継ぎ、艦隊の名も第3艦隊に変わった。その後直ちに第1段階の日本軍拠点への空襲を指揮した(別記)。ハルゼーは思いつきで作戦行動を取る傾向があり、その命令を確実に遂行するために第3艦隊司令部は大きくなり、約200名(内士官50名)が配員され、連絡係は18名いた。この陣容はスプルーアンスの司令部の倍であったという。また、カール・ソルバーグは『決断と異議』の後書きでインタビューを行なった者の内23名が1944年10月第3艦隊の参謀をしていたと述べている。 第7艦隊による上陸作戦の総指揮には輸送船を改装して指揮通信設備を備えた揚陸指揮艦ワサッチ(USS Wasatch, AGC-9 )が使用された。本艦は海事委員会(Maritime Commission)型の標準型貨物船C2-S-B1型(満載排水量12,560トン)をベースとするアパラチアン型(Appalachian class )の1艦であり、同艦種の存在は大戦中軍極秘とされ、戦後公表された。本型は広く、豊富な指揮通信能力と電子装備、作戦指揮用のスペースを持っている。揚陸指揮艦は直接戦闘を行わない艦種であるため、本型の武装は船首尾に配した2基の5インチ単装砲、および数基の40mm機銃程度である。大和の場合、煙突と後檣の間に傾斜したアンテナマストを設置しているが、それでも展張するアンテナの大きさは10m程度が限界であり、アメリカ戦艦では多数の垂直ホイップアンテナを煙突周辺に配置したケースもあった。一方本型の場合、前後のデリック支塔と船橋はそれぞれ30m以上離隔しており、この配置を徹底的に活用してアンテナの展張を行っている。このレイアウトは、戦闘艦艇のように砲の配置や射界による制約がない商船船型で可能なものであった。なお、下記に述べる低周波向けのアンテナの送受信能力を良くするには、波長に比例した大きなものを使用することが望ましい。また、大口径主砲発砲の際の爆風(ブラスト)でアンテナが振動することもない(なお、日本側の事例であるが、充実した旗艦設備と紹介されることの多い戦艦大和はシブヤン海海戦時、自艦の強大な対空砲火によりアンテナを損傷したり、火砲の発砲による振動で通信室が使用不能となる弊害が報告されている)。 本型には司令部要員は368名乗組んでいた。指揮系統・職務の割当については不明であるが、アメリカ軍は両用作戦の規模に応じて指揮艦の数を変えており、本作戦では揚陸4個師団、予備2個師団に対してアパラチアン型を中心に計6隻が充てられた。
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