指揮者・作曲家としてとは? わかりやすく解説

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指揮者・作曲家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 08:09 UTC 版)

エフゲニー・スヴェトラーノフ」の記事における「指揮者・作曲家として」の解説

スヴェトラーノフは、グリンカ以降全てのロシア・ソビエト連邦交響楽録音するという念願あと一歩果たせなかったが、かなりの数のライブ録音スタジオ録音成功したアレンスキー交響曲全集、カリーンニコフの管弦楽曲全集ミャスコフスキー交響曲全集などは貴重な遺産である。モソロフの《鉄工場》、ショスタコーヴィチの《森の歌》等のライブ録音は、この指揮者特徴端的に示した演奏として名高いスヴェトラーノフロシア人指揮者として、(共産党幹部から禁止され作曲家除きロシア人による交響作品全曲レパートリー化した最初存在である。メロディアの「ロシアン・シンフォニック・アンソロジー」ほかロシア人作曲家だけでアルバム数が100超えた存在は、近年ロシア財政難考慮する今後出現することはないだろうとされる晩年は、運営巡ってロシア国立交響楽団との関係が悪化するにつれ、フリー指揮者としてロシア外のオーケストラへの客演増えたオランダハーグ・レジデンティ管弦楽団スウェーデン放送交響楽団NHK交響楽団などに客演している。その様子は、ラフマニノフ交響曲第2番チャイコフスキー三大バレエ曲集などのCD記録されている。 作曲家としては、年齢的にプロコフィエフショスタコーヴィチより若いが、後期ロマン派音楽伝統から脱しておらず、ピアニストとして得意としたラフマニノフメトネル影響濃厚に受けている。代表的な作品として、交響曲第1番ピアノ協奏曲交響詩『赤いカリーナ』(従来は『赤いゲルダーローズ』と訳されていた)、ヴァイオリン管弦楽のための『詩曲』などが挙げられるスヴェトラーノフ作品自身指揮した録音複数あるほか、師のガウクによる録音現存する

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指揮者、作曲家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:12 UTC 版)

チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード」の記事における「指揮者、作曲家として」の解説

19世紀終盤頃には、スタンフォード学術的な業務作曲演奏妨げならない程度になっていた。彼は1885年初代指揮者であるオットー・ゴルトシュミットの跡を継いでロンドンのバッハ合唱団常任指揮者になった。彼は1902年までそのポスト務めている。1888年1月にはハンス・フォン・ビューロースタンフォードの「交響曲第3番 アイリッシュ」のドイツ初演ハンブルク指揮し、強い印象受けたビューロー直後ベルリン公演でも同曲をプログラム組み込んだ。この曲はリヒターウィーン演奏しており、その後マーラーニューヨークで指揮している。スタンフォードケンブリッジ王立歌劇場のためにアイスキュロスの「オレステイア」中の「慈しみの女神たち」への付随音楽1885年)、ソポクレスの「オイディプス王」への付随音楽1887年)を作曲した。『タイムズ』紙は前者に関してこう評している。「スタンフォード氏の音楽は劇に重要な役割果たし、またそれ自体美しいものだった。さらに、音楽の質は現代作曲家中において非常に稀なのだった。その形式である。」両作品においてスタンフォードワーグナー流のライトモティーフ多用しており、『タイムズ』紙は「オイディプス王」のワグネリアン性格指摘している。 1890年代に「ザ・ワールド」の批評家であるバーナード・ショーは「バセットホルン」と例えて、スタンフォード対す入り混じった感情表現したショー考えでは、スタンフォード最良作品抑制されないアイルランド風のものであるショースタンフォード厳粛なビクトリア朝合唱音楽には軽蔑的な立場とっていた。1891年7月ショーコラムスタンフォード勇壮な曲を作る才能への賛辞満ちており、リチャード・ドイリー・カート はサヴォイ・オペラサリヴァン後継としてスタンフォードを雇うべきだ、とまで述べた。ところが同年10月には、彼はスタンフォードオラトリオエデン Eden」を非難しパリーマッケンジーらと一括りにした上で彼らが内輪褒め合う団体組織し、「偽クラシック」を作っていると述べている。 高名な音楽家たちを非難するなんて、私は自分信じられない。もしエデン疑問抱いたならば、パリー氏やマッケンジー氏にたずねてみることだ。彼らは天まで届くほどの拍手をするだろう。マッケンジー氏の意見決定的なものに間違いない。だって彼は来たりし創造主(Veni Creatorではなくスタンフォード教授パリー氏に認められ素晴らし音楽家じゃないかパリーが誰なのか知りたいって?この祝福され二人歌姫作曲者について知っておいて何の得があるかは、マッケンジー氏とスタンフォード教授聞いて欲しい。 フラー・メイトランドにとっては、ショー風刺された三人組イングランド音楽ルネッサンス牽引役であった(もっとも、スタンフォードマッケンジーイングランド生まれではなかったが)。この見方は、いくつかの学術サークルの中では何年にもわたって残り続けたスタンフォード1893年オペラ作曲再開し、「神秘預言者」の大規模な改定短縮版世に送り出した。この版の英国初演7月ロイヤル・オペラ・ハウス行われた当時の『タイムズ』紙の主席音楽評論員は友人のフラー・メイトランドであり、新聞演奏会評はこのオペラ賛美する内容であった。フラー・メイトランドによれば、「神秘預言者」はルッジェーロ・レオンカヴァッロの「道化師」、ビゼーの「ジャミレ」、マスカーニの「ランツァウ家の人々英語版)」など が並ぶ、そのシーズンオペラ中でも最も斬新であったという。スタンフォード次のオペラは、ジョージ・H・ジェソップ(George H. Jessop)の台本による喜劇探偵オブライエン Shamus O’Brien」(1896年であった指揮をしたのは若いヘンリー・ウッドで、彼は興行主オーガスタス・ハリス独裁的な作曲者なだめて公演の邪魔をしないようにしたことを思い返している。スタンフォードウッド指揮稽古つけようとしたが、ウッド感銘を受けることはなかった。このオペラ成功し82回の連続公演行った。 この作品ドイツ語訳1907年ヴロツワフ演奏されている。トーマス・ビーチャムはこのオペラを「色彩豊かで、活気ある作品」と考えており、1910年女王陛下劇場催されたオペラ・コミックシーズンで再演した1894年終わりグローヴ王立音楽大学退官した。後継にはパリー選ばれスタンフォード友人昇進心から祝ったのだが、間もなく二人の関係悪化してしまう。スタンフォードは頭に血が上りやすく、喧嘩早いことで知られていた。グローヴ王立音楽大学での教員会議様子について記している。「そこではいくぶん精神が・・・彼自身は常にスタンフォードとして仕事続けていた。そういう彼は時に意地悪く喧嘩腰に、反駁ばかりする人物に、誰のせいでもなく自らなっていた!彼は誰より抜きんでて賢く有能な知識経験が豊富で力強い人材であり、そこに疑い余地はなかったのだが、それを役立てようと思うとしばしば法外な料金取られることになってしまうのだった。」パリースタンフォード好戦的なやり口苦しむようになっていき、神経質なスタンフォード深く気を揉んでいた。彼らの間のいさかいは、スタンフォード旧友かつ目下であったパリー権威認めるのに難色示したことから起こることもあったが、他にも1895年パリースタンフォード管弦楽法講座への充当金を減額した際には、スタンフォードをひどく憤慨させる結果となった1898年年老いて調子思わしくなかったサリヴァンは、1880年から続けてきたリーズ音楽祭指揮者退任した。彼はスタンフォード前年にリーズ・フィルハーモニック協会指揮者になった狙いは、音楽祭後継者となることだと信じていた。スタンフォードは後に、彼がサリヴァン一部共謀していたということはないと否定したタイムズ』紙に感謝している。当時サリヴァン他人作品に対していい加減な指揮者だと考えられており、一方スタンフォード指揮者としての仕事ぶりにはそのような批判はなかったため、彼はサリヴァン後任としてポスト就いたスタンフォード1910年までこの職を務めた音楽祭のために作曲した彼の作品には「海の歌 Songs of the Sea」(1904年)、「スターバト・マーテル Stabat Mater」(1907年)、「海軍Songs of the Fleet」(1910年)がある。スタンフォード在任期間中にリーズ音楽祭のために作品提供した作曲家パリーマッケンジースタンフォード教え子の7人である。スタンフォード時代で、最も知られ作品はおそらく1910年初演されヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲交響曲第1番A Sea Symphony」だろう。

※この「指揮者、作曲家として」の解説は、「チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード」の解説の一部です。
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