エウメニデス (アイスキュロス)
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ナビゲーションに移動 検索に移動『エウメニデス』(希: Εὐμενίδες、羅: Eumenides)は、アイスキュロスによるギリシア悲劇の1つであり、「オレステイア」三部作の中の一篇。『慈愛の女神たち』[1]、『慈しみの女神たち』[2]、『恵み深い女神たち』[3]等とも。
復讐の女神たち(エリーニュエス)に取り憑かれたオレステースが、ヘルメースに付き添われながら、デルポイのアポローン神殿、続いてアテナイ・アクロポリスのアテーナイ神殿を訪ね、最後にアレイオス・パゴスの評決によって無罪となり、復讐の女神たち(エリーニュエス)が慈愛の女神たち(エウメニデス)へと変化するまでが描かれる。
表題「エウメニデス」(希: Εὐμενίδες)とは、上記の通り、オレステースに取り憑いていた復讐の女神たち(エリーニュエス)が、アレイオス・パゴスにおける裁きを経、アテーナーの説得によって変化した形態である、慈愛の女神たちを指す。舞台上では、復讐の女神たち(エリーニュエス)の段階も含め、コロス(合唱隊)の役割を担う。
紀元前458年のアテナイにおけるディオニューソス祭にて、「オレステイア」三部作の他の二篇、およびサテュロス劇『プローテウス』と共に上演された[4]。
構成
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日本語訳
- 『ギリシア悲劇1 アイスキュロス』「慈みの女神たち」 ちくま文庫、1985年 - 各 呉茂一訳
- 『ギリシア悲劇全集1 アイスキュロス』、橋本隆夫訳「エウメニデス」 岩波書店、1990年
- 『アイスキュロス 悲壯劇』 田中秀央・内山敬二郎訳「仁慈なる女神達」 生活社、1943年
- 『ギリシャ悲劇全集1』 内山敬二郎訳「仁慈なる女神達」 鼎出版会、1979年
- 『古典劇大系 第一巻 希臘編』 村松正俊訳「エウメニデス」、近代社、1925年
- 『世界戯曲全集 第一巻 希臘編』 同「エウメニデス」、近代社、1927年
脚注・出典
関連項目
慈しみの女神たち
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詳細は「エウメニデス (アイスキュロス)」を参照 デルポイの巫女が神殿の前で、放浪の末にアポローンにすがってここに来たオレステースの眠っている姿を見て恐怖にかられるところから話が始まる。巫女が逃げるように退場すると、神殿の扉が開き、オレステースが復讐の女神たちからなるコーラス隊に囲まれて一緒に眠っている光景が現れる。アテーナイ(アテネ)に行って女神アテーナーの裁判を受けよというアポローンの指示により、ヘルメースがオレステースをその場から連れ出すが、オレステースがいなくなると、クリュタイムネーストラーの霊が現れ、復讐の女神たちを起こしてオレステースを追わせようとする。アポローンは復讐の女神たちをなだめるが彼女たちはまったく聞き入れず、オレステースを再度追いかけ出す。 復讐の女神たちはアテーナイのアクロポリスにある女神アテーナーの神殿でオレステースを捕まえてとり囲むと、復讐の歌を歌いながら踊り狂う。 やがてアテーナーが現れ、オレステースを弁護するアポローンと、オレステースを母親殺しとして告発する復讐の女神たちの間での裁判が始まる。陪審員の判決は、有罪・無罪が半々にわかれるが、裁判長のアテーナーがオレステースを支持したため、7対6でオレステースは無罪放免となる。若い神々がより古い神々である自分たちをないがしろにしたと復讐の女神たち(エリーニュス)は激昂するが、なだめられてアテーナイの慈しみの女神たち(エウメニデス)となるよう説得されると、この申し出を受け入れる。こうして、憎しみと復讐の連鎖はついに断ち切られ、アテーナーが守護するアテーナイの民主政治により、ギリシア世界に調和と安定がもたらされる。それは母権制と父権制の間の闘争として解釈し、アポローンとアテーナーによって代表される父権的な精神の法が最終的に勝利を納める。あるいは、母権制から父権制への発展を反映するとも言われている。
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