指揮者の養成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:55 UTC 版)
19世紀半ば以降、指揮者の専門職化が進んだ。現在では、音楽大学の指揮科で養成されることが多い。歴史的にみると、指揮者は専門職ではなく、楽団のリーダーである楽器奏者や声楽家、作曲家などが、まとめ役として担っていたポジションである。作曲家として知られているフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラーなども指揮者として活躍していた。現在でも、クア・オーケストラのように指揮を専門としない音楽家が指揮をすることもしばしば行われている。また、後述のように、専ら指揮者として活躍する音楽家の中に、器楽奏者、声楽家、作曲家などから転身した者も少なくない。特殊な例では、王侯貴族(デンマーク国王フレゼリク9世)、政治家(英国のエドワード・ヒース元首相など)、会社社長(ソニーの大賀典雄など。但し、もともと大賀は東京芸術大学にて正規の音楽教育を受けている声楽家である)、著名な音楽評論家が指揮台に立つ例もある。 一般的には、指揮の練習や楽曲の予習にはピアノなどの鍵盤楽器を使う。ブルーノ・ワルターやダニエル・バレンボイム、クリストフ・エッシェンバッハ等のようにピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転じた者もいる(特にバレンボイムやエッシェンバッハはピアニストとしてかなりの名声を築いたのちの転向である)。また、他の楽器についても演奏経験があれば役に立つ。アルトゥーロ・トスカニーニ(スカラ座のチェロ奏者)やシャルル・ミュンシュ(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者、コンサート・マスター)、ルドルフ・ケンペ(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者)、ネヴィル・マリナー(フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団のヴァイオリン奏者)など、指揮者の中にはキャリアを楽器奏者から始めた者も少なくない。 また、特に現在では、さまざまな地域で作曲された楽曲を演奏し、さまざまな国の楽団を指揮する機会が大幅に増えており、スコアの原語での読み込みを始め、リハーサルで細かなニュアンスを伝えるためには、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語など、複数の外国語の能力も欠かせなくなってきている。特に、世界最多の歌劇場とオーケストラを持ち各国から無料の音楽留学を受け入れているドイツ及びオーストリアの公用語であるドイツ語と、話者人口の多い英語は重要である。また、欧米で指揮者の仕事の半分を占めるオペラにおいて歌詞のニュアンスを十全に理解する必要性もある。 このように幅広い知識、能力が必要な上に、最終的には大勢の人間に自らの意思を伝え、音楽的表現を作り上げていく能力が重要であることから、指揮者となるためには実践的訓練が重要となる。例えば、ウィーンの音楽大学ではほぼ毎日、午前中はピアノを用いた指揮法のレッスンと楽曲分析(アナリーゼ)の授業、午後は実際に学生オーケストラを振らせるといった教育システムが取られている。 膨大な知識と幅広い能力、そしてそのための絶え間ない訓練を要求されるという点、そして、限られたポストをめぐって他者と争わなければならない点から、指揮者になるのはとても難しいといわれる[要出典]。ほぼ膝から上の全身を使う肉体作業であるにもかかわらず、大器晩成的な性格もある。たとえば、日本で初の指揮者名鑑であるレコード芸術付録『指揮者WHO'S WHO』(1976)では、当時40代後半のカルロス・クライバーやハインツ・レーグナーが「若手」「未来株」と記述されている(現在の感覚ではさほど奇異ではないが、当時は55歳定年企業が多数派であり、後年に比べて中年や老人の概念がずっと若いことも留意が必要である。映画女優などは30代半ばをすぎると、男優でも40代半ばから助演に回るのが一般的な時代であった)。また、同書で「これといったセールス・ポイントがない」が「安定株ではある」と地味なローカル的存在扱いされた当時63歳のギュンター・ヴァントは、80歳近くなってカリスマ化して世界中で熱狂的人気を集めた。生涯固定したポストに恵まれず、オペラ録音や客演を中心に長い間職人的に語られてきたジョルジュ・プレートルがドイツ音楽の解釈で大指揮者的存在となったのも70歳以降である。70歳を過ぎて新ポストに就任することはごく通常であり、ロリン・マゼールが80歳でミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の新音楽監督として3年契約を交わした等の例がある。
※この「指揮者の養成」の解説は、「指揮者」の解説の一部です。
「指揮者の養成」を含む「指揮者」の記事については、「指揮者」の概要を参照ください。
- 指揮者の養成のページへのリンク