指揮者活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:12 UTC 版)
1981年、米国にてヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動するかたわら、チョン・ミョンフン(当時ロサンジェルス・フィルハーモニック副指揮者)の推薦でクロスロード学校弦楽合奏団の指揮者となり、本格的に指揮活動を始める。同合奏団において以後12年間指導を行い、米国演奏界の最前線を担う人材を多数輩出、教育者としても高い評価を受ける。1982年にサンタバーバラ室内管弦楽団、1985年にはノースウエスト室内管弦楽団の音楽監督兼指揮者、1986年にはラホイヤ室内楽音楽祭の芸術監督に就任。同年、ロサンジェルス・フィルハーモニックを指揮、翌年アンドレ・プレヴィンに同楽団の副指揮者に任命され、定期コンサート、ハリウッド・ボウル公演、青少年ロサンジェルス・フィルハーモニック夏季トレーニング・オーケストラを指揮する。 1990年にはリヨン歌劇場管弦楽団(フランス)、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(イギリス)を指揮してヨーロッパデビューを果たし、翌1991年には京都市交響楽団を指揮して日本デビューを飾った。以降、客演指揮者として世界各国のオーケストラと共演を重ねる。 1991年には、ロサンジェルス日米交響楽団の音楽監督兼指揮者に就任、翌年には同交響楽団と日本演奏旅行をする。1992年にはサンタフェ室内音楽祭の芸術監督に、また1993年には、ニューヨーク州のカユガ室内オーケストラの指揮者兼音楽監督に就任する。1999年から5年間九州交響楽団の常任指揮者、2004年から2008年まで大阪シンフォニカー交響楽団ミュージック・アドバイザーおよび首席指揮者を歴任した。 レコーディングはこれまでに、コロムビア、フィリップス、ノンサッチ、RCA、ステレオ・ファイルで録音を行っている。日本エヴィカで、日本ピアノ界の重鎮であった園田高弘と共演、九州交響楽団を指揮してのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集とブラームスのピアノ協奏曲1番を録音した。 2005年に福岡市文化賞を受賞。2008年には、首席指揮者を務めた大阪シンフォニカー交響楽団が第62回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 現在、米国のサンタバーバラ室内管弦楽団の音楽監督兼常任指揮者を務める。また、シャネル・ネクサス・ホールで行われている若手音楽家の支援活動「シャネル・ピグマリオン・デイズ」(CHANEL Pygmalion Days)のアーティスティック・ディレクター、若手音楽家育成などを目的とした「ながさき音楽祭」の音楽監督など、若手の育成にも力を入れている。
※この「指揮者活動」の解説は、「大山平一郎」の解説の一部です。
「指揮者活動」を含む「大山平一郎」の記事については、「大山平一郎」の概要を参照ください。
指揮者活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 21:04 UTC 版)
明治大学卒業後、三石精一に師事。後1968年に西ドイツへ留学し、カールスルーエ音楽大学指揮科でアルトゥール・グリューバーに師事。後1972年ウィーン国立音楽大学指揮科ハンス・スワロフスキーに師事。指揮者としての研鑽を積む。帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、新星日本交響楽団、日本新交響楽団、ディベルティメント室内管弦楽団を指揮した。青少年音楽日本連合(JMJ)主催の青少年音楽祭では、ジュネス・ミュジカル・マンドリンオーケストラの指揮を1976年より以後7年間務めた。2002年では、ロシアのバラライカオーケストラ、オシポフ国立ロシア民族楽器オーケストラにて初の外国人指揮者として客演指揮を行った。
※この「指揮者活動」の解説は、「久保田孝」の解説の一部です。
「指揮者活動」を含む「久保田孝」の記事については、「久保田孝」の概要を参照ください。
- 指揮者活動のページへのリンク