指揮者デビュー
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「エドゥアルト・シュトラウス2世」の記事における「指揮者デビュー」の解説
曽祖父ヨハン・シュトラウス1世の没後100年、大伯父ヨハン・シュトラウス2世の没後50年の節目である1949年、エドゥアルト2世は指揮者として初めて公衆の前に立った。「シュトラウス音楽祭」をウィーンで開催し、シュトラウス一族の多くの作品を発掘・蘇演した。6月4日、ウィーン市公会堂で開かれた「ヨハン・シュトラウス舞踏会」のために、ニーダーエスターライヒ州のトーンキュンストラー管弦楽団を指揮した。同年末にはウィーン・フォルクスオーパーでバレエとオペレッタの公演も指揮し、注目を浴びた。 (ハンサム・エディと呼ばれた祖父エドゥアルト1世に似て)容貌がよかったこと、態度が控えめだったこと、そしてシュトラウス一族やモーツァルトやシューベルトのような作曲家の解釈が上品だったことから、エドゥアルト2世の指揮は大きな人気を集めた。エドゥアルト2世は次のように指揮者としての個人的信条を語っている。 「シュトラウスという名前で生きることは生易しくありません。その名にふさわしいかどうかを試され、求められるからです。」 「ワルツはあまり速く演奏してはいけません。人びとが滑るように踊れないといけないことを、常に忘れてはいけません。」 「オーケストラの第一ヴァイオリンは、たくさんいなければなりません。そのたくさんの人は、ヴァイオリンを弾いてはいけません。ヴァイオリンで歌わなければいけないのです。」 「ワルツには、揺れるような感じと、ためらう気持ちとがあります。これは、ごくわずかな、小さなアクセントによって生み出されるのです。」 指揮者デビューの翌年である1950年12月27日、交際していたエリーザベトとコンセルヴァトワールで結婚した。妻エリーザベトは歌手としての将来を捨て、家庭に専念するようになった。1954年、エドゥアルト2世は3本の映画に出演した。『女王さまはお若い』では名無しの作曲家として出演し、『永遠のワルツ(ドイツ語版)』では祖父エドゥアルト1世の役を演じ、『ウィーンからのコメディアン(Der Komödiant von Wien)』ではヨハン2世の役を演じた。1955年4月21日、一人息子であるエドゥアルトが誕生した。
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