指揮者・合唱指揮者としてとは? わかりやすく解説

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指揮者・合唱指揮者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 09:38 UTC 版)

木下保」の記事における「指揮者・合唱指揮者として」の解説

歌手としての活動の他に、昭和初期より合唱指揮でも活躍した東京音楽学校合唱団との録音演奏旅行のほか、東京声楽団、1926年大正15年6月慶應義塾ワグネル・ソサィエティー第42回定期演奏会への登場から留学まで指導をはじめ、多く合唱団指導した信時作品では、1940年昭和15年11月紀元二千六百年奉祝楽曲として、神武天皇題材としたカンタータ海道東征』の初演指揮し合唱のみならずオーケストラ伴った大編成の指揮にも力量発揮した後年は、自身の提唱した「やまとことば」の第一人者として、自から初演した『沙羅』を合唱編曲している。戦後慶應義塾との深い関係が続き1955年昭和30年)にワグネル指揮者復帰木下1969年昭和44年)に慶應義塾から「特選塾員」の称号与えられている)。ルネサンス期ポリフォニードイツ古典からコダーイ作品まで、1982年昭和57年)の逝去前まで男声合唱指揮者として多く演奏会登場したまた、1947年昭和22年)に大谷学苑創設され指揮者就任東京放送合唱団指揮1956年昭和31年10月日本女子大学合唱団聖心女子大学グリークラブ指揮者就任1957年昭和32年CBC中部日本放送合唱団第1回定期演奏会開催。同合唱団1965年昭和40年)まで定期演奏会5回、ラジオ放送100余回の他、テレビ放送こなした。その中から團伊玖磨岬の墓』(1963年昭和38年CBC委嘱芸術祭受賞ピアノ: 三浦洋一)、髙田三郎橋上の人』(1969年昭和44年CBC委嘱合唱: 日本合唱協会芸術祭大賞受賞)、萩原英彦光る砂漠』(1971年昭和46年CBC委嘱合唱: 日本合唱協会ピアノ: 三浦洋一芸術祭優秀賞受賞)等の初演作品生まれている。また、1959年昭和34年)の全日本合唱コンクール大学部門において、木下指揮する日本女子大学合唱団女声合唱団として初優勝し、その後1963年昭和38年)から1965年昭和40年)まで3年連続優勝果たしコンクールにおける黄金時代築いた。なお1962年昭和37年)には日本女子大学合唱団委嘱により三善晃三つの抒情』を初演している。1963年昭和38年10月木下保先生還暦祝演奏会」を日本女子大ワグネルの2合唱団により開催1964年昭和39年4月日本女子大学卒業生による合唱団創設し指揮者就任1966年昭和41年11月信時潔先生追悼演奏会開催日本女子大ワグネルワグネルOBの4合唱団による信時潔合唱作品指揮1969年昭和44年3月-4月ワグネル米国演奏旅行指揮者として同行世界大学合唱祭参加1979年昭和54年9月木下保先生喜寿祝賀演奏会」を日本女子大聖心女子大ワグネルの3合唱団により開催

※この「指揮者・合唱指揮者として」の解説は、「木下保」の解説の一部です。
「指揮者・合唱指揮者として」を含む「木下保」の記事については、「木下保」の概要を参照ください。

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