ヤン・ネポムク・マイールとは? わかりやすく解説

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ヤン・ネポムク・マイール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/05 06:50 UTC 版)

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ヤン・ネポムク・マイール
Jan Nepomuk Maýr
Jan Vilímekによる肖像画(1880年代前半)
基本情報
生誕 1818年2月17日
オーストリア帝国 ムニェルニーク
死没 (1888-10-25) 1888年10月25日(70歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国
ボヘミア王国 プラハ
ジャンル オペラ
職業 指揮者
作曲家
歌手
担当楽器 テノール
活動期間 1839年 - 1888年

ヤン・ネポムク・マイール (Jan Nepomuk Maýr(しばしば、MayrMayerMaierとも綴られる)、1818年2月17日 - 1888年10月25日)は、オーストリア=ハンガリー帝国(現・チェコ)のオペラ歌手テノール)、芸術監督作曲家指揮者、音楽教育者。今日では、プラハにあった仮劇場の初代芸術監督、首席指揮者として知られる。

生涯

当時オーストリア帝国の支配下にあったボヘミアの都市・ムニェルニークの出身。1839年クラーゲンフルト(現・オーストリア領)の歌劇場オペラ歌手としてキャリアをスタートさせる。1842年から1844年の間は、ボヘミアの中心地・プラハの様々な歌劇場で働く。その後、ドイツ連邦ダルムシュタット(現・ドイツ領)の歌劇場で活動するようになり1844年から1846年まで務める。フランティシェック・リーゲル英語版からの要請により、プラハに帰国しエステート劇場英語版の首席歌手となる。彼の歌唱力はチェコの聴衆から称賛されたものの、演技力を欠いていると評価された。そして、1848年に歌劇場のコーラス・マスターに任命された。

1851年頃からオペラに役者として出演することは少なくなり、プラハの様々な合唱団指揮者として活動するようになる。その中には、プラハの大聖堂の聖歌隊も含まれる。1853年には、指揮者活動に専念するためにエステート劇場のコーラス・マスターを辞す。1850年代には、聖歌の指揮を通じて指揮者としての名声を高めていった。1854年には、プラハ音楽院の歌唱教師として着任している。

1862年に、仮劇場の初代芸術監督兼首席指揮者に着任する。この人選は、この地位を切望していたベドルジハ・スメタナを大いに失望させている[1]。この劇場は、1862年11月18日に開場し、ヴィーチェスラフ・ハーレクの悲劇『Král Vukašín』が上演された[2]。また、当時は適したチェコ・オペラが存在しないと考えられたため、ルイジ・ケルビーニ作の『二日間、または水の運搬人』が、1862年11月20日にオペラとして初めて上演されている[2]。開場から少しの間は、仮劇場では戯曲と歌劇の上演が毎日交互に行われていたが、1864年より、歌劇は毎日上演されることとなった[2]

マイールは1866年9月まで、仮劇場の初代芸術監督兼首席指揮者の地位にあった。彼の在職中は、スメタナとの敵対関係が良く知られている。スメタナは、仮劇場の保守主義とチェコ・オペラの促進という課題の失敗を批判していた[3]。これに対し、マイールはスメタナのオペラ『ボヘミアのブランデンブルク人』を上演拒否するという報復に出ている[4]。1866年の異動で、マイールは仮劇場の初代芸術監督兼首席指揮者を解任され、その地位にはスメタナが就くこととなった[5][6] 。その後も、マイールは指揮者として活動を続けた。1874年末には、スメタナが失聴により仮劇場の職を辞したため[7]、マイールが仮劇場の首席指揮者に再任された[8]

1888年プラハで死去。

マイールは、少数であるが楽曲も作曲している。そのほとんどは聖歌であるが『Horymír』と『Jaromír, vojvoda český』という2本のオペラも作曲している。

脚注

  1. ^ Large, p. 124
  2. ^ a b c Large, pp. 124–25
  3. ^ Large, p. 136
  4. ^ Large, p. 144
  5. ^ Large, p. 167
  6. ^ Ottlová, Marta. “Smetana, Bedrich”. Grove Music Online, ed. Laura Macy. http://www.oxfordmusiconline.com/public/ 2009年5月12日閲覧。.  (要購読契約)
  7. ^ Clapham, pp. 41–42
  8. ^ Large, p. 246

参考文献




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