ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とは? わかりやすく解説

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ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 09:43 UTC 版)

ミュンヘン・フィルハーモニー
管弦楽団
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
基本情報
原語名 Münchner Philharmoniker
出身地 ドイツ帝国
バイエルン王国 ミュンヘン
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1893年 -
公式サイト www.mphil.de
メンバー 次期首席指揮者(2026/2027~)
ラハフ・シャニ

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団ドイツ語: Münchner Philharmoniker)は、ドイツミュンヘンに本拠を置くオーケストラ。略称はMPhil。本拠地は、ミュンヘン市内の複合文化施設ガスタイク内にあるフィルハーモニー・ガスタイク。

概要

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、1893年に創立されたカイム管弦楽団がその前身であり[1]1928年にミュンヘン市のオーケストラとなったことに伴い現在の名称に変更された[2]

戦前は、ブルックナーの弟子で、その交響曲の「改訂版」に名を残すフェルディナント・レーヴェや、その交響曲の「原典版」の演奏の普及に努めたジークムント・フォン・ハウゼッガーオズヴァルト・カバスタらが首席指揮者を務めた。また1906年には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがこの楽団を指揮して楽壇デビューを果たした。グスタフ・マーラーとも深い縁があり、マーラー自身の指揮で1901年交響曲第4番[2]、また1910年には交響曲第8番を初演している[1]1911年にはブルーノ・ワルターの指揮のもとで、大地の歌の初演も行った[1]。他の完成された交響曲はすべて別々の団体が初演しているので、これは特別に深い縁といってよい。

音楽家育成への取り組みの一環として2010年11月27日に開催された、ユースオーケストラのオデオン・ユース・シンフォニー・オーケストラ・ミュンヘン(グリーンのたすきを掛けた楽員)との合同コンサート。

戦後、1967年にはルドルフ・ケンペが首席指揮者に就任。堅実な指揮ぶりと長身で紳士的な振る舞いを見せ続けた彼の人気もあいまって、最初の全盛期と呼べる時期を迎えた。彼が1976年に死去した後、1979年セルジュ・チェリビダッケが首席指揮者となり、楽団の名声をさらに高めた[2]。ただ、録音嫌いのチェリビダッケの方針のため、当時はほとんどレコードを世に出さず、オイゲン・ヨッフムラファエル・クーベリックのもと多くの演奏を録音してきたミュンヘンのもう一方の雄・バイエルン放送交響楽団とは対照的に、メディア受けとは一線を画した活動を貫き続けた。

1999年にはジェームズ・レヴァインが首席指揮者に迎えられたが、5年でその職を退き、後任の首席指揮者にはクリスティアン・ティーレマンが指名された。彼の就任記念コンサート(2004年10月)では、楽団伝統のブルックナーから交響曲第5番が演奏された[1]。次世代を担うドイツ人指揮者と目されているティーレマンがミュンヘン・フィル首席指揮者に就任した際には、ドイツ語圏内クラシック音楽界は大きな期待をかけていたが、2011年にミュンヘンを去った[1]

2012年からはロリン・マゼールが首席指揮者に就任し、2015年以降の首席指揮者が決定するまでの任期とされていたが、後任がヴァレリー・ゲルギエフに決まったと2013年1月に発表された。マゼールは2014年に健康上の理由で退任し、同年7月に没した。

2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻に伴い、ロシア出身でプーチンとの親交があったゲルギエフを首席指揮者から解任した。「ロシアの支配者への肯定的評価を修正すると期待したが、そうはならなかった」ことを理由とする[3]

このオーケストラは、同じくミュンヘンに本拠を置く、マリス・ヤンソンス率いるバイエルン放送交響楽団とハイレベルな競合関係にあり、そのことはミュンヘン市民の大きな誇りとなっている。初演曲や歴代首席指揮者の得意曲、さらには地元が生んだ作曲家ということもあり、マーラーやブルックナー、リヒャルト・ワーグナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを得意としている。

中でもブルックナーは、交響曲第9番原典版の初演者ジークムント・フォン・ハウゼッガーをはじめ歴代首席指揮者それぞれが得意とし[1]、数々の録音を残している。2017年から2019年にかけてゲルギエフと共に楽団初となる交響曲全集を制作した。この全集では全9曲がブルックナーにとって最もゆかりの深い場所であり、墓所でもある聖フローリアン修道院で録音されている[4]

歴代首席指揮者等

2023年3月11日、客演指揮者パーヴォ・ヤルヴィとの演奏会

脚注

  1. ^ a b c d e f 世界の名門オーケストラ 2020, p. 32 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団.
  2. ^ a b c 世界のオーケストラ名鑑387 2009, p. 66「ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」.
  3. ^ ロシア出身の世界的指揮者、ミュンヘン・フィルが解任…プーチン氏と深い親交のゲルギエフ氏 - 読売新聞オンライン 2022年3月3日
  4. ^ DIE GESCHICHTE DER MÜNCHNER PHILHARMONIKER” (ドイツ語). MÜNCHNER PHILHARMONIKER. ORCHESTER. 2023年7月23日閲覧。
  5. ^ LAHAV SHANI” (ドイツ語). MÜNCHNER PHILHARMONIKER. ORCHESTER. 2023年7月23日閲覧。

関連項目

参考文献

  • ONTOMO MOOK『世界のオーケストラ名鑑387』音楽之友社、2009年。 
  • ONTOMO MOOK『世界の名門オーケストラ』音楽之友社、2020年。 

外部リンク


ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:46 UTC 版)

ジェームズ・レヴァイン」の記事における「ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」の解説

1999年セルジュ・チェリビダッケ死後空席になっていたミュンヘン・フィル音楽監督就任メトロポリタン歌劇場除き、レヴァインがオーケストラ専任音楽監督務めるのはこれが最初である。レヴァインはここを拠点ヨーロッパ音楽界での足掛かりとするはずであったが、団員オーディションにも立ち会わず、リハーサルきわめて短くオーケストラと過ごす時間が短い、などチェリビダッケと全く異なるレヴァインの音楽性が、批評家観客からも不評を買い短い任期終ってしまう。

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