ミュンヘン一揆後に創設されたドイツ労働者党
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「ドイツ労働者党」の記事における「ミュンヘン一揆後に創設されたドイツ労働者党」の解説
ミュンヘン一揆の失敗でナチ党が禁止されると、党員は様々な偽装政党・組織に分かれたが、そのひとつに1923年12月に神経科医シュテッカー博士がニュルンベルクで創設した「ドイツ労働者党」がある。同党はバイエルン州議会選挙に備えて州内の元ナチ党員が合同した「民族主義ブロック」のニュルンベルク及び中フランケン地方の支部とされた。民族主義ブロックがエーリヒ・ルーデンドルフやドイツ民族自由党と合同した「国家社会主義自由運動」にも参加した。ニュルンベルクの元ナチ党員の指導権をめぐってユリウス・シュトライヒャーやヘルマン・エッサーらの大ドイツ民族共同体と対立した。ヒトラーが出獄すると、ドイツ労働者党も大ドイツ民族共同体も彼を自派に取り込もうと競い合ったが、ヒトラーの指導が絶対という同じ立場から両派の対立は自然解消し、そろって彼の指揮に服して再結成されたナチ党へ戻った。
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