ミュンヘンオリンピック~晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:32 UTC 版)
「アベベ・ビキラ」の記事における「ミュンヘンオリンピック~晩年」の解説
1972年9月のミュンヘンオリンピックでのアベベは、組織委員会から過去の著名な金メダリストの一人として招待を受け、車いすの姿で開会式にゲスト出演し、その後も会場で競技を観覧している。自らが動けないことで「競技を見るのが辛かった」とのちに妻に語ったが、マラソンでエチオピア代表のマモ・ウォルデが3位に入り銅メダルを獲得、アベベと同じく五輪二大会連続メダリストの快挙を大いに喜んでいた。 晩年のアベベはこのように体が不自由な状態ながらも、生涯スポーツに関わり続けようとしていた。しかしミュンヘン五輪からわずか1年後の1973年10月25日、アベベは脳出血により首都アディスアベバにある陸軍病院にて41歳でその生涯を閉じたのだった。因果関係は明確ではないものの、自動車事故の後遺症が脳出血の遠因であるとみられた。 アディスアベバにはアベベの名前を冠した国立スタジアムがある。
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