組織委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/05 01:19 UTC 版)
「2011年ノルディックスキー世界選手権」の記事における「組織委員会」の解説
2006年9月6日版のFISニュースで、2006年9月4日にオスロで2011年ノルディックスキー世界選手権大会組織委員会の第1回委員会が開かれた。FIS、ノルウェースキー連盟、大会組織員会、ノルウェー国営放送(NRK)、欧州放送連合の代表者が出席した。主な議題はイベントのマーケティング、競技場の整備計画と改修された競技場で2010年にプレ大会を実施することなどであった。 2007年7月2日の週にÅsne Havnelidが組織委員長に選出され、同9月1日よりその業務を開始した。 2007年11月13日にHavnelid組織委員長は業務部長Adelheid Sætherと財政部長Stein Opsalを招集した。議論の一つはホルメンコーレンジャンプ競技場の改築計画を纏めてFISに示すことであった。 オスロ市議会とオスロ評議会にはジャンプ第改築計画の詳細、建設費がいまだ示されず、工事は始っていなかった。 2008年8月にHavnelid組織委員長はインタビューで大会の観客動員目標を40万人としていることを明らかにした。 2009年4月20日にオスロで、2009年大会組織委員会から大会運営の教訓を学ぶ会合が持たれた。会合では2009年大会の成功点と失敗点について詳細な分析結果が示され、2011年組織委員会と2013年ヴァル・ディ・フィエンメ大会組織委員会は成功のカギを学んだ。 会合には2009年大会、2011年大会、2013年大会の各組織委員会のほか、国際スキー連盟、ノルウェースキー連盟、欧州放送連合、APFマーケティングパートナーズが出席した。 2009年9月3日-4日のグループ調整会議で、ホルメンコーレンジャンプ競技場、ミッツトゥンジャンプ競技場、クロスカントリースキースタジアム及び周回コースの建設工事進捗状況が示された。 組織委員会は2010年3月にこれらの会場でプレ大会を実施出来ると述べた。 2009年9月付けで組織委員会は20人を雇用し、ホスト局となるNRKは2011年大会のために完全なカメラアングル3D-モデリング技術を研究した。 2009年12月23日、組織委員会は次の大会スポンサー企業を発表した:スタトイルハイドロ(スタヴァンゲルに本拠を置くエネルギー企業)、アケル・ソリューションズ(オスロに本拠を置く大手エンジニアリング企業)、インタースポートスキーレンタルショップ(スイス、ベルンに本拠を置くスポーツ用品販売企業)、クラフト(スウェーデンに本拠を置くスポーツ用衣料品企業) ホルメンコーレン地区でのプレ大会は2010年3月12日から14日にジャンプ、複合、クロスカントリー計7種目が行われた。この競技の前に組織委員会は日産自動車のディーラーから車両33台の提供を受けた。 13日に行われたノルディック複合の団体戦ではペッテル・タンデ、ミッコ・コクスリエン、ヤン・シュミド、マグヌス・モーアンのノルウェーチームが優勝、翌日の個人戦ではフランスのジャゾン・ラミー=シャプイが優勝した。 14日のスキージャンプでは直前のバンクーバーオリンピックで2冠となったスイスのシモン・アマンが優勝、 クロスカントリースキー女子では地元ノルウェーのマリット・ビョルゲンがスプリントと30kmで優勝した。 男子スプリントではノルウェーのアンデシュ・グロールセン、50kmで同じくノルウェーのペッテル・ノールトゥグがそれぞれ優勝した。 2010年4月15日から16日に放送会議が行われ、前の月に行われたプレ大会の成功点と問題点について話し合われた。オスロ市は管理体制を評価された。 組織員会にはバンクーバーオリンピックのノルディックスキー会場のディレクターだったJohn Aalbergがスポーツディレクターとして紹介された。 マーケティング計画は引き続き進められ、2010年6月のFISの理事会で最終日程が決められた。
※この「組織委員会」の解説は、「2011年ノルディックスキー世界選手権」の解説の一部です。
「組織委員会」を含む「2011年ノルディックスキー世界選手権」の記事については、「2011年ノルディックスキー世界選手権」の概要を参照ください。
「組織委員会」の例文・使い方・用例・文例
- 組織委員会のページへのリンク