組織委クリエイティブ・ディレクター名での参加要請文書
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「佐野研二郎」の記事における「組織委クリエイティブ・ディレクター名での参加要請文書」の解説
エンブレム公募の発表3日前の2014年9月9日、審査委員代表が「国内最高水準のコンペにするため、一流とされるデザイナーらには招待状を送り、熱意を持って取り組んでもらえるようにしたい」との意向を示唆し、審査委員代表と組織委クリエイティブ・ディレクター名による参加要請文書が、組織委マーケティング局長の指示を経て8人のデザイナーに送られていた事実が判明した。 また、エンブレムの原案は二度にわたって修正されているが、この過程を知っていたのは審査委員の中では組織委クリエイティブ・ディレクターの1人だけで、佐野の修正の指南役だった。組織委の重鎮である森喜朗や武藤敏郎などから「(ヤン・チヒョルト展のポスターに似ているとされる原案について)日の丸を足元に置くなんておかしい」「(ベルギーの劇場のロゴに似ているとされる最終案の前段階の案について)躍動感がなくなった」といった指摘があり、一部の人間だけで修正が施された。 10月1日発売の週刊新潮によると、参加要請文書には次のようなことが書かれていた。 佐野を含む数名の指名コンペにするべきとの意見もあった 「条件付き」の公募にしたのは、次世代の才能にも門戸を開くためである (大会そのもののシンボルというだけでなく)新しい時代のシンボルであり、未来が記憶するものである デザインの今、デザインのこれから、を検証し発見する人材として佐野(を含む8人)に参加を要請 応募作は、日本のデザインの到達点にもなりうる 様々なテクノロジーとも親和する拡張性が重要 なお、文書の結びでは「(9月12日の公募開始の発表前までは)ご内密にお願いいたします。」との記載もあった。2日には、組織委の幹部であるマーケティング局長の槙英俊とクリエイティブディレクターの高崎卓馬が事実上の更迭となった。
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