ミュンヘンオリンピック出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:07 UTC 版)
「山本郁榮」の記事における「ミュンヘンオリンピック出場」の解説
ミュンヘンオリンピックにおける戦績 1回戦 ○(負傷棄権、2:59)Arlouzaden, Ferodz( イラン) 2回戦 ○(フォール、1:43)Famatid, Rogelio( フィリピン) 3回戦 △(引き分け)Lindholm, Per( スウェーデン) 4回戦 ●(判定)Bacui, Ion( ルーマニア) 5回戦 ●(判定)Kazakov, Rustem( ソビエト連邦) 世界で最も標準的な体格の階級である57kg級はグレコローマン最多の30選手が出場する最激戦の階級であったが、山本はメダル獲得を期待される強豪選手として参戦した。しかし、ミュンヘンオリンピック事件などの影響で波乱の試合展開が続出し、山本も不可解な判定負けにより7位という不本意な結果に終わった。山本は試合後、「俺が勝ったんだ」と叫んでマット上で号泣し、その姿が当時の朝日新聞などに掲載された。当時のグレコローマンは有力選手の多い欧州理事会が発言力が強く、圏外選手に不利な判定が下されることが多かったとも言われる。 政治的な意向により東側諸国に優位な判定が下されたのではないかとも噂され、山本に5回戦で判定勝ちを収めたソ連のカザコフが金メダルを獲得したため「幻の金メダル」とも評された。後に生まれる美憂はミュンヘン、聖子はオリンピックに因んで命名されたことから、この時の父の無念を晴らしたいと子供達が志すきっかけとなった。 長男の徳郁も総合格闘家としての活動を一時休止してアマチュアレスリング選手として北京オリンピック出場を目指したことからも、レスリング一家の思いが窺い知れる。
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