ミュンヘンへの分岐とは? わかりやすく解説

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ミュンヘンへの分岐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 03:09 UTC 版)

ラインゴルト (列車)」の記事における「ミュンヘンへの分岐」の解説

1983年ダイヤ改正5月29日)により、ラインゴルト西ドイツ国内を走るものとしてはただ一つ残ったTEEとなった。このときから、ラインゴルトマンハイム編成一部分割してミュンヘン分岐するようになった1973年まで客車ラインプファイル併結する形でのミュンヘンへの乗り入れ行なわれていたが、ラインゴルト列車名のままでのミュンヘン乗り入れは(ラインプファイルとの分離以降では)これが初である。 マンハイムからミュンヘンまでの経路都市間の連絡よりも観光重視したものであった列車ハイデルベルクからネッカー川の谷に入り古城街道一部たどったシュトゥットガルトに至る。シュトゥットガルトミュンヘンの間でも幹線ルートからは北に外れロマンティック街道沿いの観光地経由した途中には単線ローカル線もあり、優等列車乗り入れることは稀な区間であった。またミュンヘンへの編成にはクラブ車 (Clubwagen) が連結されており、車内でのイベント用いられた。 しかしこの経路想定されたほどの旅客集めることはできず、1985年6月2日ダイヤ改正ハイデルベルク - シュトゥットガルト - ミュンヘン間の経路ライン谷とミュンヘンを結ぶ幹線ルート変更された。同時にバーゼル発着編成との分割場所はマインツ変更されマインツ - ハイデルベルク間ではライン川右岸ダルムシュタット経由するようになった。また1985年1986年の夏にはミュンヘンからオーストリアザルツブルクまで延長された。 1986年ダイヤ改正6月1日)ではラインゴルト列車番号TEE 15/14と2になった一方で同年冬にはラインゴルトと同経路国際インターシティであるレンブラントアムステルダム - バーゼル - クール)の列車番号ドイツでもっとも小さIC 3/2となった。これは西ドイツ国鉄が、ラインゴルトをもはや最も重要な列車とはみなさなくなったためと考えられている。

※この「ミュンヘンへの分岐」の解説は、「ラインゴルト (列車)」の解説の一部です。
「ミュンヘンへの分岐」を含む「ラインゴルト (列車)」の記事については、「ラインゴルト (列車)」の概要を参照ください。

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