楽家
楽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 16:04 UTC 版)
楽家一覧(『楽家録』元禄3年)三方姓氏家芸南都方 藤原 芝 龍笛・舞 狛 東 鳳笙 辻 鳳笙 上 龍笛 奥 龍笛 窪 篳篥 久保 篳篥 大神 中 鳳笙 西京 龍笛 井上 龍笛 北 篳篥 天王寺方 太秦 薗 鳳笙・左舞 林 鳳笙・右舞 東儀 篳篥・右舞 岡 龍笛・左舞 安倍 東儀 篳篥 京方 豊原 豊 鳳笙 大神 山井 龍笛 安倍 安倍 篳篥・神楽歌・舞 多 多 神楽歌・舞 奈良時代にはすでに家芸を父子相伝する習慣があったと考えられている。白鳳13年(684年)に歌男・歌女・笛吹者は子孫に伝えて歌笛を習わしめよという詔勅があり、下って宝亀9年(778年)には「家々の伝受の秘説」を集めた(『教訓抄』)という記事があるため、この頃には父子相伝の秘曲が存在していたと思われる。12世紀ごろにはこうした家芸は独占的なものになり、家芸以外のものは実演できなかったとされる。 しかし戦国時代の動乱を経てさまざまな変遷があり、三方楽所の楽家としては右の表にあげるような各家があった。この頃になると、父子相伝による家芸の曲目以外に、必要によって他家から一代相伝を受けて演奏するということがされるようになる。この場合の相伝というのは、具体的な技能の教授ではなく、むしろ演奏権を授ける意味である。この権利の背景には宮廷権威があり、代々楽所別当・楽奉行を務めた四辻家がこれを取り仕切った。四辻家は和琴を家芸とする羽林家であり、地下である三方楽人が和琴を弾奏する場合には、その都度その日かぎりの一日相伝を受けていた。 元禄期までは楽家以外の一般の弟子を取ることは申し合わせにより禁じられていた。しかしさらに時代が下って化政文化のころには、安倍家・多家・豊原家・芝家・辻家といった古来からの楽家から下級楽人の家々にいたるまで、多くの門人を抱えるいわゆる家元になっていった。これは楽家の収入が石高制であり、幕府や諸藩と同様に飢饉や物価上昇のあおりを受けて困窮したことに対する打開策と考えることができる。門人は武士や僧侶が多かったが、町人や農民も1~2割を占めていた。ただし明治になって一般の弟子を取ることを禁じられた時期があり、また雅楽が宮内省で集中的に管理されたこともあって、こうした家元制度は現代には続いていない。
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「楽家」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女は音楽家になろうと決心している
- 東京生まれの音楽家
- ずばぬけた才能の音楽家
- その音楽学校は多くの才能ある若い音楽家を育てた
- その音楽家の生誕100年祭を催す
- 才能豊かな音楽家
- 彼は普通の音楽家と比べると一流だ
- 偉大な音楽家
- 人々はバッハのことを,これまでで最も偉大な音楽家だと見なしている
- 円熟した音楽家
- ニューヨークという市は多くの若い音楽家を引きつけている
- 彼は音楽家と科学者の両親の間に生まれた
- 多くの音楽家が住む町
- 彼は一流の音楽家だ
- 音楽家協会
- 彼は正確にはプロの音楽家ではなかったが,多くの人々が彼のコンサートに行った
- 彼は才能ある音楽家を取り巻きに従えている
- 彼はなんて多才な音楽家だろう
- 彼は熱狂的な蔵書道楽家だ。
- 一般的に音楽家たちは演奏する前に音合わせが必要です。
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