ラフマニノフ【Sergey Vasil'evich Rakhmaninov】
ラフマニノフ
ロシアのピアニスト、作曲家、指揮者。苦学してモスクワ音楽院のピアノ科と作曲科を通常より1年早く卒業。特に作曲は大金章という最高成績を受けた。1892年、卒業後すぐに出版した前奏曲嬰ハ短調は、さっそく人気の作品となった。が、交響曲第1番の不評が原因で一時作曲を断念する。1902年、ピアノ協奏曲第2番を自ら初演して表舞台に返り咲き、劇場で指揮者を務めた後、06年にドレスデンに移ってからしばらくは作曲に専念した。09年に渡米、自作を演奏するピアニストとして名声を高めた。ロシア革命の混乱をかわしつつヨーロッパとアメリカで演奏活動を行い、20年代後半はヨーロッパにとどまろうと努力したが、31年にソヴィエト連邦の体制を批判したため、政府はかれの作品の上演を禁止した(これは2年ほどで解除された)。晩年は新たな戦争への危機感からアメリカへ戻った。
ラフマニノフはピアノ演奏、指揮、作曲のいずれにおいても成功を収めたが、すべてに同時に打ち込むことには困難を感じていた。
歌とピアノ
ラフマニノフ
セルゲイ・ラフマニノフ
(ラフマニノフ から転送)
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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Серге́й Васи́льевич Рахма́ниновロシア語: [sʲɪrˈɡʲej vɐˈsʲilʲjɪvʲɪt͡ɕ rɐxˈmanʲɪnəf]、ラテン文字転写例: Sergei Vasil'evich Rachmaninov[注釈 1]、1873年4月1日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では3月20日) - 1943年3月28日)は、ロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者。
注釈
- ^ 姓はRachmaninoff、Rachmaninow, Rakhmaninovなどと表記されることがある。名も同様に、Sergey、Sergeなどとも表記される。ラフマニノフ自身は欧米でSergei Rachmaninoffと綴っていた。
- ^ 生地は従来オネグとされてきたが、教会の洗礼の記録からセミョノヴォで生まれたことが判明している[3]。
- ^ 父ヴァシーリイは幼い子供たちにピアノを弾いて聴かせるのを習いとし、後にラフマニノフは父が演奏した曲を元に『V.R.のポルカ』という作品を作曲している。
- ^ サーチン家の人々はこの時グラズノフは酒に酔っていたと証言している。
- ^ 晩年のトルストイは宗教的な回心を経て独自の芸術観に到達しており、ベートーヴェンなどの音楽に対して否定的な立場をとっていた[5]。
- ^ 後の1958年に第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したヴァン・クライバーンは、凱旋帰国した際にアレクサンドル・ネフスキー大修道院の構内にあるチャイコフスキーの墓から土を持ち帰り、ラフマニノフの墓前に供えた。
- ^ セルゲイの姉、エレーナは声楽の才能に恵まれ将来を嘱望されていたが、17歳で夭逝した。
- ^ この贈り物は国外にいる時にも届けられ、革命後に彼がロシアを離れた後にも続いた。添えられた短い手紙には「Б. С.」(おそらくは白いライラックを意味する Белая Сирень のイニシャル)とのみ署名されているのが常だったが、1918年にフョークラ・ルソという女性が自ら名乗り出て、この時初めて贈り主が判明した[7]。
- ^ スクリャービンは軽くやわらかなタッチを特徴とするピアニストで、明確な打鍵により楽曲の骨格を明瞭に浮かび上がらせるラフマニノフの演奏スタイルはスクリャービン作品の本質を貶めるものと受け取られた。
- ^ ラフマニノフはチェーホフとチャイコフスキーについて次のように述べている[19]。「かれ(チャイコフスキー)は、わたしがかつて出会ったもっとも魅惑的な芸術家、人物のひとりでした。…わたしは、あらゆる点でかれに似ていたもうひとりの人に出会いました。それはチェーホフでした。」
出典
- ^ Harrison, Max (2006). Rachmaninoff: Life, Works, Recordings. London: Bloomsbury Publishing. ISBN 978-0-826-49312-5 p.5
- ^ Unbegaun, Boris Ottokar; Uspenskiĭ, Boris Andreevich (1989) (Russian). Русские фамилии. Moscow: Progress Publisher. ISBN 978-5-01-001045-4. OCLC 21065596 p.108
- ^ a b c d e f ニコライ・バジャーノフ著、小林久枝訳『伝記 ラフマニノフ』第3版、音楽之友社、2003年 ISBN 978-4276226210
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、2006年2月10日、249ページ。ISBN 4-7872-7208-X
- ^ トルストイ著、中村融訳『芸術とはなにか』角川文庫、1952年 ISBN 978-4042089223
- ^ Robert Matthew-Walker: Rachmaninoff, Omnibus Pr., 1984 ISBN 978-0711902534
- ^ a b c d Sergei Bertensson, Jay Leyda, Sophia Satina: Sergei Rachmaninoff: A Lifetime in Music, Indiana Univ Pr, 2002. ISBN 978-0253214218
- ^ a b c 『ピアノとピアニスト2003』音楽之友社、2003年 ISBN 978-4276961357
- ^ ハロルド・C・ショーンバーグ著、亀井旭、玉木裕訳『大作曲家の生涯』(下)共同通信社(1984年) ISBN 978-4764101548
- ^ Deryck Cook; "The futility of Music Criticism", The Musical Newsletter, Jan. 1972
- ^ “ラフマニノフ手書きの楽譜、約2億円で落札 英国”. AFPBBNews (フランス通信社). (2013年5月21日) 2014年5月24日閲覧。
- ^ D A B Young: "Rachmaninov and Marfan's syndrome", British Medical Journal 293, 1986 Dec 20-27, pp1624-6
- ^ Max Harrison: Rachmaninoff: Life, Works, Recordings, Continuum, 2005 ISBN 0-8264-5344-9
- ^ 日本ロシア音楽家協会『ロシア音楽事典』河合楽器製作所出版部、2006年 ISBN 978-4760950164
- ^ Marc-André Hamelin: Introduction to the Fairy Tales - The International Medtner Foundation (Retrieved 2010-05-16)
- ^ Jonathan Summers: RACHMANINOV: Piano Concertos Nos. 1 and 2 (Moiseiwitsch, Vol. 4) (1937-1948) - ClassicsOnline (Retrieved 2010-05-16)
- ^ Jonathan Summers: RACHMANINOV: Piano Concerto No. 3 / LISZT: Paganini Etudes (Horowitz) (1930) - Classical Music - Streaming Classical Music (Retrieved 2010-05-16)
- ^ RACHMANINOV: Piano Concertos Nos. 2 and 3 - Classical Music - Streaming Classical Music (Retrieved 2010-05-16)
- ^ エウゲーニイ・ゼノノヴィチ・バラバノーヴィチ著、中本信幸訳『チェーホフとチャイコフスキー』新読書社、1996年 ISBN 978-4788070288
- ^ “Practical Urtext Editions”. www.boosey.com. 2019年9月26日閲覧。
- ^ “Sergio Fiorentino - complete Rachmaninoff live”. www.rhineclassics.com. Rhine classics. 2020年7月5日閲覧。
- ^ “(4345) Rachmaninoff = 1979 HD3 = 1981 UR19 = 1986 TJ5 = 1988 CM2”. MPC. 2021年10月7日閲覧。
- 1 セルゲイ・ラフマニノフとは
- 2 セルゲイ・ラフマニノフの概要
- 3 生涯
- 4 音楽
- 5 人物
- 6 交友関係
- 7 作品
- 8 ラフマニノフを扱った作品
「ラフマニノフ」の例文・使い方・用例・文例
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- フリーはラフマニノフの前奏曲「モスクワの鐘」に合わせる予定だ。
- 強いプレッシャーの下で,浅田選手はキム選手の直後に滑り,ラフマニノフの「モスクワの鐘」に合わせて演技をした。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
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