イグナーツ・ワーグハルターとは? わかりやすく解説

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イグナーツ・ワーグハルター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 16:12 UTC 版)

イグナーツ・ワーグハルター
Ignaz Waghalter
基本情報
生誕 1881年3月15日
出身地 ロシア帝国 ワルシャワ
死没 (1949-04-07) 1949年4月7日(68歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク
学歴 ベルリン芸術大学
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家
指揮者

イグナーツ・ワーグハルター(Ignaz Waghalter, 1881年3月15日 - 1949年4月7日)は、ワルシャワに生まれニューヨークに没したユダヤ系ドイツ人作曲家、指揮者。

略歴

作曲家

若くしてヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムに認められ、彼の援助でベルリン芸術大学に進む。在学中はフリードリヒ・ゲルンスハイムに作曲と指揮を学んだ。初めは作曲家として声価を得る。最初期の作品である『弦楽四重奏曲』はヨアヒムから高く評価され、21歳にして『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』でメンデルスゾーン賞を受賞した。

指揮者

作曲家としてデビューしてほどなく指揮者として頭角を現し、ベルリン・コーミッシェ・オーパー、エッセン劇場の指揮者を経て、1912年から、ベルリン市立歌劇場音楽監督。同歌劇場在任中、『西部の娘』『トスカ』『ラ・ボエーム』のドイツ初演を大成功させ、プッチーニ作品のドイツ国内での再評価に道をつけた。1923年に同ポストを辞し渡米、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督となる。

評価

第二次大戦前期は、もっとも重要なドイツの作曲家のひとりとして評価を確立するが、戦後急速に過去の人となった。大時代なロマンティシズムに彩られた作風が、第二次大戦後の先鋭な価値観と相容れなかったことがその原因だとされたが、近年再評価の気運が高まりつつある。

作品

  • 『弦楽四重奏曲』(1901年)
  • 『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1902年)
  • 『ヴァイオリン協奏曲』
  • 『悪魔の方法』(1911年)
  • 『マンドラゴーラ』(1914年)
  • 『遅い客』(1922年)
  • 『サタニエル』(1923年)

参考文献

  • Aus dem Ghetto in die Freiheit. Schnurer-Verlag, Marienbad 1936.

外部リンク

脚注


先代
ジョセフ・ストランスキー
ニューヨーク・フィルハーモニック
常任指揮者
1924年 - 1925年
次代
ウィレム・メンゲルベルク




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