発足から九州リーグ時代(2003年 - 2011年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:02 UTC 版)
「ヴェルスパ大分」の記事における「発足から九州リーグ時代(2003年 - 2011年)」の解説
2003年にHOYO FCとして創設、2004年から大分県社会人サッカーリーグ加盟。創設時から九州サッカーリーグ昇格を目標に活動を展開していた。2005年、岩本昌樹ら元Jリーガーを数名補強し、活動を強化。同年、挾間町(現在の由布市の一部)のジュニアチーム「アトレチコエラン」と合併しHOYO Atletico ELANにクラブ名を変更。チーム名の"Atletico"はポルトガル語で「スポーツの」、また"ELAN"は「飛躍」を意味している。 2009年には前年から指導に携わっていた元日本代表で鹿島や大分Tなどでプレーした増田忠俊がプロ契約で監督に就任。選手では鳥栖より長谷川豊喜、千葉より田中淳也らが加入した。8月の全国社会人サッカー選手権大会・九州大会と天皇杯大分県予選(大分県サッカー選手権大会)敗退での成績不振を理由に増田に代わり同年からGKコーチを務めていたブレノ・バレンチンが監督に昇格した。大分県リーグで優勝を果たし、引き続いて2010年1月9〜10日に開催された九州各県リーグ決勝大会でも優勝し、九州サッカーリーグへの初昇格を果たした。 2010年、前水戸の堀健人などが加入。8月29日、新日鐵大分にPK戦の末勝利し、大分県サッカー選手権大会決勝トーナメント大会(第90回天皇杯大分予選)初優勝。10月9日、九州リーグ昇格1年目でリーグ制覇。しかし、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会では予選ラウンドで敗退し、JFL昇格はならなかった。個人成績では堀が18得点14アシストという成績を残し、MVP、得点王、アシスト王と九州リーグの個人タイトルを総なめにした。 2011年よりチーム名をHOYO AC ELAN大分に変更。6月、クラブ運営組織となる「特定非営利活動法人大分スポーツ&カルチャークラブ」を設立し、クラブチームとしての活動に移行する。ブレノ体制3年目となり、中嶋雄大、船津佑也、安藤寛明らが加入した。2年連続で九州リーグに優勝し、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場した。1次ラウンドをリーグ1位で突破し、決勝ラウンドでは2勝1敗(PK勝ち1)の勝ち点5で3位に入った。本来であればJFL16位のチームと入れ替え戦を行うはずであったが、FC町田ゼルビアと松本山雅FCがJ2に昇格し、ジェフリザーブズが活動を停止してJFLからの離脱チームが3チームとなったため、入れ替え戦を行わずにJFLへの昇格が実質的に決定。同年12月16日に正式に昇格が決定した。
※この「発足から九州リーグ時代(2003年 - 2011年)」の解説は、「ヴェルスパ大分」の解説の一部です。
「発足から九州リーグ時代(2003年 - 2011年)」を含む「ヴェルスパ大分」の記事については、「ヴェルスパ大分」の概要を参照ください。
- 発足から九州リーグ時代のページへのリンク