第一次平戛救援作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
断作戦発動に先立つ7月中旬、第56師団により、平戞守備隊に対する救援作戦が実施された。歩兵第146連隊第1大隊(安部大隊)を基幹とする平戞守備隊は、5月中旬からの遠征軍の反撃を一度は撃退したが、その後遠征軍は兵力を増強し、守備隊を包囲して猛攻を繰り返していた。師団としては、悪疫と糧食欠乏に悩みながら苦闘を続ける守備隊を救援し、糧秣・衛生材料等の補給や患者の収容を行って、同地の防守を継続させなければならなかった。このため松山師団長は、龍陵から芒市に後退した後、芒市北方への奇襲作戦を行ったばかりの松井秀治大佐(歩兵第113連隊長)に、平戞守備隊救援作戦の指揮を命じた。師団の歩兵連隊長は、蔵重連隊長は騰越で敵の重囲下で激戦中、今岡連隊長はフーコン作戦から帰還中であり、松井大佐以外に然るべき指揮官はいなかった。 松井大佐は部下連隊のほか、猪瀬・宮原両大隊、池田山砲兵大隊、工兵1小隊、衛生隊、輜重隊を指揮して平戞へ向かうこととなった。しかし、過去2か月にわたる連続不断の作戦により、これらの部隊将兵の死傷者は既に甚大な数に上っており、心身の疲労も激しかった。7月11日に芒市を出発した松井部隊は、激戦の末14日に平戞に到着し、補給と患者の収容を円滑に行った後、悪天候と厳しい寒さに悩まされつつ19日に芒市に帰り着いた。
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