第一次工程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 17:47 UTC 版)
1927年6月 - 諸橋と大修館との間で出版契約が成立。この頃から、諸橋の雑司ヶ谷の自宅の応接間が編集室となり、諸橋の教え子や関係者たちが四書五経やその他著名な中国の古典、その他にも天文・医薬・動植物・法律・芸術などのあらゆる分野の文献から、語彙を収集する作業を始めた。当初は、来客時にそなえて編纂者たちは帰宅するときに作業書類は廊下に片づけていたという(後に諸橋が近所の2階建ての一軒家を借りてそこに編集室を移動)。収集した語彙はカードで整理され、まとまった順番から「原本」と呼ばれた素原稿に貼り込まれていった。 1929年頃から、「原本」貼込み作業と並行して、貼込み作業の終わった「原本」の最初の方を加筆・修正する作業が始まる。 1930年頃には、「原本」の貼込み作業は大方できあがり、加筆・修正して完成した分からそれを「原稿」へと清書する作業が始まる。「原本」から「原稿」への清書過程では、「原本」作成中に刊行・入手した辞書類からの語彙や、後から気付いた語彙が追加された。また、作成された「原稿」にも随時語彙が追加されていった。語彙は、現代中国語や和語でない限りは、必ず出典が明らかなもののみを採録することとしたため、辞典などから収集した語彙の出典探しも負担の大きい作業となった。この頃から、漢和辞典の規模が当初の構想に比べて飛躍的に大規模なものとなることが判明してくる。
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