第一次広島時代とは? わかりやすく解説

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第一次広島時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 03:19 UTC 版)

黒田博樹」の記事における「第一次広島時代」の解説

1997年春季キャンプ終了したのち、二軍でのスタートとなる。広島東洋カープ由宇練習場での練習試合中継ぎ投手として登板するも、1イニング10失点喫する当時二軍監督である安仁屋宗八打たれ続けて交代させずに3アウトを取るまで投げさせた。4月25日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)にて初登板・初先発・初勝利・初完投快挙達成その後同じく新人澤崎俊和と共に先発ローテーション入り勝ち星こそ伸び負け先行した規定投球回クリアした。 1998年は僅か1勝でシーズン終えた1999年シドニー行われたインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し韓国戦で勝利台湾戦で完封勝利収める同年カープ先発ローテ名を連ねる2000年それまで一辺倒だった投球改め緩急意識した投球結果成績向上し9月20日巨人戦から閉幕まで4連続完投勝利を挙げた2001年オールスターゲーム初出場。初の212勝を記録しチームの勝ち頭となる。 2002年途中先発ローテーションから外れたが、2年連続2勝利を達成2003年それまでエース佐々岡真司に代わって初の開幕投手となる。前半不調勝てない時期続いたが、後半から本来の調子を取り戻し最終的に13勝を挙げ3年連続2勝利を達成し自身初となる投球回200イニング以上を果たしたアテネオリンピック野球アジア予選にも出場2004年2年連続開幕投手務める。6月20日ヤクルトスワローズ戦(松山坊っちゃんスタジアム)にて自己最速の157km/hを記録アテネオリンピックでは野球日本代表選出され中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得貢献2005年4月15日横浜ベイスターズ戦で三浦大輔互いに完封リレー行い0-0引き分けたオールスターゲームファン投票選出され4年ぶりの出場果たしたシーズン通して15勝を挙げ下柳剛並んで最多勝タイトル獲得年俸も2億円に達したちなみに球団再編騒動最中当時資金面困窮していた球団から提示され年俸1億9500万円であったが、チームの顔として2億円の大台到達にこだわる黒田は「僕が500万円出すので(会見で)2億円と言っていいですか」と詰め寄る場面もあったという。 2006年国別対抗戦WBCワールド・ベースボール・クラシック)に選出されるも、2月24日12球団選抜との練習試合打球右手に受け負傷出場辞退余儀なくされる5月31日FA権取得6月まで5勝6敗、防御率、WHIP1.11と安定した投球続けオールスターゲーム出場直前7月2日中日戦からは負け無しの8連勝記録7月は4勝0敗、防御率0.84、WHIP0.78の活躍月間MVPチームメイト栗原健太とともに受賞。更に8月続けて4勝0敗、防御率1.11、WHIP0.86の活躍月間MVP連続受賞球団史上初の2か月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープ歴史に名前を残せ嬉しい」と発言した。しかし、9月には右肘を痛めて長期離脱10月16日シーズン最終戦となった中日戦の9回2死という場面で復帰登板打者1人抑えプロセーブ記録した(この試合掲げられ横断幕については#人物詳述)。シーズン成績13勝6敗1セーブ、WHIP1.00、防御率1.85で最優秀防御率タイトル獲得1点台でのタイトル獲得1992年赤堀元之以来セ・リーグでは1989年斎藤雅樹以来快挙となったまた、テンポ良い投球評価されスピードアップ賞受賞オフには監督マーティ・ブラウン奨め渡米し肘関節クリーニング手術(数か月投球可能となる軽い手術)を行ったFA権取得に伴い10月15日球団から「4年10億円+生涯保障指導者手形」という条件提示される。そして11月6日4年12億円(基本年俸2億5000万円+単年最大5000万円出来高込。当初条件出来高上乗せしている)でFA権を行使せずに残留することを表明。「今後国内他球団移籍はない」と明言し国内なら「生涯広島」を宣言した。なおこの契約は、4年契約期間内で自由にメジャーリーグ挑戦できるようになっていた。FA権を行使せずに残留決めたこと、残留会見での「僕が他球団ユニフォーム着て広島市民球場カープファンカープ選手相手ボール投げるのが自分の中で想像がつかなかった」、「僕をここまで投手育ててくれたのはカープ。そのチーム相手に僕が目一杯ボール投げ自信正直なかった」と発言したまた、この年選手会のベストエピソード賞に選ばれ黒田野球用具担当するSSKは、社を挙げて黒田キャンペーンすることを決定した。そして市民感動与えたことが評価され広島市は「広島市表彰」を黒田授与する発表した球団4人目)。 2007年開幕投手務め長谷川良平以来球団2人目の5年連続開幕投手となる。またデーゲーム大の得意で、6月3日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では2003年7月6日からのデーゲーム13連勝記録した7月14日東京ドームでの読売ジャイアンツ戦にて通算100勝を達成したちなみにプロ勝利東京ドームでの巨人戦だった)。オールスターゲーム2度目ファン投票選出4度目出場例年夏場を得意としていたが、この年8月からはクオリティ・スタートすら守れない試合続き8月9月は2勝3敗、防御率4.58、WHIP1.48を喫した10月18日FA権を行使することを明らかにした。MLB球団以前から黒田目を付けており、特にテキサス・レンジャーズゼネラル・マネージャーのジョン・ダニエルズが興味示した発言をしていた。ジョー・アーボンとスティーブ・ヒラードと代理人契約を結び、12月1日球団本部長鈴木清明メジャー挑戦決断したことを報告記者会見では「評価されるのもカープおかげで、また日本帰ってプレーするならこのチームしかない」とも語った

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第一次広島時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 10:07 UTC 版)

菊地原毅」の記事における「第一次広島時代」の解説

入団後4年間は一軍登板がなかった。

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