澤崎俊和とは? わかりやすく解説

澤崎俊和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 07:54 UTC 版)

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澤﨑 俊和
広島東洋カープ 投手コーチ #87
2018年8月28日 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県千葉市若葉区
生年月日 (1974-09-21) 1974年9月21日(45歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 1997年4月6日
最終出場 2005年4月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2006 - )

澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手投手)。現在は広島東洋カープ一軍投手コーチ。

経歴

1990年3月に千葉市立みつわ台中学校を卒業。志学館高等学校(現:志学館高等部)から青山学院大学へ進み、4年春のリーグ戦でMVPと最優秀投手に選ばれ、日米大学野球代表に選出される。1996年全日本アマチュア野球王座決定戦(現在は廃止)でも住友金属を下しアマチュアNo1投手となった。東都大学リーグ通算45試合登板、18勝9敗 防御率2.09 204奪三振。最優秀投手2回(3年秋、4年春)、ベストナイン2回(3年秋、4年春)。大学の同級生に、井口資仁倉野信次清水将海らがいる。

1996年度ドラフト会議にて広島東洋カープから1位指名(逆指名)を受けて入団。1位が澤崎で2位が黒田博樹だった。抜群のコントロールとスライダーを武器に1年目の1997年シーズンは12勝を挙げ、新人王を獲得。3年目の1999年シーズンには、ストッパーとして14セーブを挙げるが、2000年2001年と右肘を故障に見舞われる。2003年2004年は中継ぎで40試合近く登板したが、2005年に再び故障。

同年のシーズン終了後、故障が元で自由契約となり、そのまま現役を引退。

同年に引退した小林幹英とともに翌年2006年に投手コーチに就任。初年度は三軍コーチだったものの、清川栄治の退団に伴い2007年からは一軍投手コーチを担当。2009年からはまた三軍投手コーチに戻る。2011年からは二軍投手コーチを担当。

2006年4月からは広島エフエムDO THE CARPという番組に出演。また、同期入団で黒田より一軍定着が早かったが、今では黒田を「一番尊敬する投手ですね」と褒め称えた。

2007年3月5日に広島市民球場で行われた紅白戦で、先発した小山田保裕の後、他に投げる予定の投手がいなかったことから、コーチでありながら紅白戦で登板し、1回を被安打1無失点に抑える。本人曰く「冗談だと思っていた。誰も投球練習していないので『ほんとにオレかよ』とびっくりした。何とかストライクを入れようと集中していた」とのこと。

2020年のシーズンより、13年ぶりとなる一軍投手コーチを担当することになる。

2008年9月4日

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1997 広島 38 21 2 1 0 12 8 0 -- .600 673 156.1 162 23 47 1 7 106 4 0 68 65 3.74 1.34
1998 17 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 111 23.2 30 3 12 0 0 18 2 0 14 13 4.94 1.77
1999 25 0 0 0 0 1 2 14 -- .333 105 24.0 25 2 10 1 0 16 1 0 17 17 6.38 1.46
2000 15 13 0 0 0 4 4 0 -- .500 281 61.2 72 8 28 2 1 38 2 0 42 38 5.55 1.62
2002 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 4.1 3 0 1 0 0 1 0 0 2 1 2.08 0.92
2003 40 0 0 0 0 4 1 1 -- .800 202 45.2 56 6 16 1 3 35 1 0 22 22 4.34 1.58
2004 38 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 191 43.0 52 11 15 0 1 28 0 0 33 32 6.70 1.56
2005 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.75
NPB:8年 180 35 2 1 0 24 17 15 *0 .585 1582 360.0 401 53 129 5 12 243 10 0 198 188 4.70 1.47
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

表彰

記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:1997年4月26日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、2回表に岡島秀樹から右前適時打
その他の記録

背番号

  • 14 (1997年 - 2005年)
  • 87 (2006年 - )

脚注

関連項目

外部リンク


澤﨑俊和

(澤崎俊和 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 04:40 UTC 版)

澤﨑 俊和
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県千葉市若葉区
生年月日 (1974-09-21) 1974年9月21日(50歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト1位 (逆指名)
初出場 1997年4月6日
最終出場 2005年4月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者、野球解説者

経歴

2008年9月4日

東京都足立区で生まれ、後に千葉へ転居する[1]。小学2年で野球を始め、千葉市立みつわ台中学校3年の時に北千葉大会で優勝する[1]。志学館高等学校(現:志学館高等部)では2年秋からエースになるが3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場ならず[1]。プロ入りを拒否して青山学院大学へ進み、同期の清水将海とバッテリーを組んで3年秋にリーグ戦5勝を挙げて優勝に貢献、明治神宮大会では準決勝で近畿大学を相手に完封[2]。4年春のリーグ戦で7勝を挙げてMVPと最優秀投手に選ばれ、大学選手権では準決勝で東北福祉大学を相手に12奪三振の完投、決勝では先発した同期の倉野信次を序盤で救援すると、やはり同期の主将・井口忠仁が2本塁打を放って優勝[3]。日米大学野球代表に選出される。1996年全日本アマチュア野球王座決定戦(現在は廃止)でも住友金属を下し、アマチュアNo1投手となった[1]東都大学リーグ通算45試合登板、18勝9敗 防御率2.09 204奪三振。最優秀投手2回(3年秋、4年春)、ベストナイン2回(3年秋、4年春)。1学年先輩に川越英隆坪井智哉がいた。

1996年度ドラフト会議にて広島東洋カープから1位指名(逆指名)を受け、入団[1]。1位指名が澤﨑で2位指名が黒田博樹だった。抜群のコントロールとスライダーを武器にしていた。

1997年シーズンは12勝を挙げ、新人王を獲得。

1999年シーズンには、ストッパーとして14セーブを挙げる。

2000年シーズン・2001年シーズンと右肘を故障に見舞われる。

2003年シーズン・2004年シーズンは中継ぎで40試合近く登板した。

2005年シーズンには再び故障。

同年のシーズン終了後、故障が元で自由契約となり、そのまま現役を引退。

同年のシーズンオフに現役を引退した小林幹英とともに翌年の2006年シーズンには投手コーチに就任。初年度は三軍コーチだったものの、清川栄治の退団に伴い2007年シーズンからは一軍投手コーチを担当。2007年3月5日に広島市民球場で行われた紅白戦で、先発した小山田保裕の後、他に投げる予定の投手がいなかったことから、コーチでありながら紅白戦で登板し、1回を被安打1無失点に抑える。本人曰く「冗談だと思っていた。誰も投球練習していないので『ほんとにオレかよ』とびっくりした。何とかストライクを入れようと集中していた」とのこと。また、2006年4月からは広島エフエムDO THE CARPという番組に出演。また、同期入団で黒田より一軍定着が早かったが、今では黒田を「一番尊敬する投手ですね」と褒め称えた。

2009年シーズンからは再び三軍投手コーチに戻る。

2011年シーズンからは二軍投手コーチを担当。

2020年シーズンは、13年ぶりとなる一軍投手コーチを担当。

2021年シーズンは3度目となる三軍のコーチを務め、シーズン終了後の11月3日に退団が発表された[4]

2022年1月7日、日本海オセアンリーグ滋賀GOブラックスで投手コーチに就任することが発表された[5]。チームは同年シーズン終了後の12月に1年間の活動休止を発表した[6]

2023年1月10日、滋賀からの退団が正式に発表された[7]。その翌日の1月11日、ベイサイドリーグ(日本海オセアンリーグが改称)に今シーズンより加入するYKSホワイトキングスの監督に就任することが発表された[8]。その傍らTBSテレビTBSチャンネル)の横浜DeNAベイスターズ主催試合(主に対広島戦)などに野球解説者として本数契約で出演する。2023年のベイサイドリーグシーズン終了後の10月3日、同シーズン限りでの監督退任が発表された[9]

2024年1月11日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスで投手コーチに就任することが発表された[10]。1シーズン務め、シーズン終了後の10月4日に退任が発表された[11]

2025年から広島時代の同僚である町田公二郎が監督を務める福井工業大学硬式野球部のチーフ投手コーチに就任[12]

選手としての特徴 

一軍投手コーチとして1年目の澤﨑の活躍に立ち合った川端順は澤﨑について「練習熱心な選手。ブルペンで体力を使い切らないように (当時は当たり前に行われていた) 週に2、3度行うブルペンでの調整を免除したほど」と振り返っている[13]

2年目は不調に陥り、3年目に川端が「責任感が強く、チームの為に投げられる選手」という理由でクローザーに配置転換を行なった。クローザーは通常7回から準備を始めるが、澤﨑はどれだけ点差があっても5回からブルペンに入る真面目さだった。

川端は澤﨑について「酷使したのは我々の責任かもしれない。しかし、あれだけの練習が彼を作り上げたのは間違いない」と評している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1997 広島 38 21 2 1 0 12 8 0 -- .600 673 156.1 162 23 47 1 7 106 4 0 68 65 3.74 1.34
1998 17 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 111 23.2 30 3 12 0 0 18 2 0 14 13 4.94 1.77
1999 25 0 0 0 0 1 2 14 -- .333 105 24.0 25 2 10 1 0 16 1 0 17 17 6.38 1.46
2000 15 13 0 0 0 4 4 0 -- .500 281 61.2 72 8 28 2 1 38 2 0 42 38 5.55 1.62
2002 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 4.1 3 0 1 0 0 1 0 0 2 1 2.08 0.92
2003 40 0 0 0 0 4 1 1 -- .800 202 45.2 56 6 16 1 3 35 1 0 22 22 4.34 1.58
2004 38 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 191 43.0 52 11 15 0 1 28 0 0 33 32 6.70 1.56
2005 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.75
通算:8年 180 35 2 1 0 24 17 15 0 .585 1582 360.0 401 53 129 5 12 243 10 0 198 188 4.70 1.47

表彰

記録

初記録
投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:1997年4月26日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、2回表に岡島秀樹から右前適時打
その他の記録

背番号

  • 14(1997年 - 2005年)
  • 87(2006年 - 2021年、2024年)
  • 88(2022年)
  • 89(2023年)

脚注

出典

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、260ページ
  2. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球'96春季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  3. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球'96秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  4. ^ “広島が山田和利、澤崎俊和の2コーチの退団を発表 ともにチームOB、各部門を歴任”. Full-Count. (2021年11月3日). https://full-count.jp/2021/11/03/post1152690/ 2022年1月7日閲覧。 
  5. ^ 滋賀GOブラックス [@oceanshiga] (2022年1月7日). "【投手コーチ就任のお知らせ】". X(旧Twitter)より2022年1月7日閲覧
  6. ^ 滋賀GOブラックスの運営会社の移行準備開始のお知らせ”. 滋賀GOブラックス (2022年12月22日). 2022年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  7. ^ コーチ及び選手退団のお知らせ”. 滋賀GOブラックス (2023年1月10日). 2023年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月10日閲覧。
  8. ^ YKSホワイトキングス [@YKS_White_Kings] (2023年1月11日). "【監督就任のお知らせ】". X(旧Twitter)より2023年1月11日閲覧
  9. ^ 澤﨑俊和監督 退任のお知らせ - ウェイバックマシン(2023年10月14日アーカイブ分) - YKSホワイトキングス(2023年10月3日)2023年10月4日閲覧。
  10. ^ 新コーチ就任のお知らせ - 群馬ダイヤモンドペガサス(2024年1月11日)2024年1月11日閲覧。
  11. ^ 澤﨑俊和投手コーチのお知らせ - 群馬ダイヤモンドペガサス(2024年10月4日)2024年12月3日閲覧。
  12. ^ 澤﨑 俊和氏 硬式野球部チーフ投手コーチ就任について - 金井学園(2025年3月10日)2025年3月10日閲覧。
  13. ^ よみがえる熱球 <12>沢崎俊和”. 2021年4月3日閲覧。

関連項目

外部リンク





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