門田純良とは? わかりやすく解説

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門田純良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 01:17 UTC 版)

門田 純良
基本情報
国籍 日本
出身地 愛媛県今治市
生年月日 (1951-04-05) 1951年4月5日(74歳)
身長
体重
187 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト3位
初出場 1972年4月9日
最終出場 1977年5月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

門田 純良(かどた すみよし、1951年4月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

今治南高から、社会人野球愛媛相互銀行へと進み、谷山高明とともに主力投手として活躍。

1970年プロ野球ドラフト会議南海ホークスから3位指名される[1]。しかし保留する。

1971年都市対抗に谷山とともに丸善石油の補強選手として出場。2回戦では盛岡鉄道管理局を相手に先発するが、早々に打ち込まれ真価を発揮できなかった。準々決勝でも先発を任され、日本石油奥江英幸と投げ合う。この試合は3回からエースの久玉清人に継投して勝利を飾った。決勝に進出し新日鐵広畑と対戦。7回から久玉をリリーフするが白滝政孝佐々木恭介に適時打を浴び降板、敗退した[2]。その後、ドラフト最終期限前に南海に入団した。大型右腕投手として期待された。

1972年から一軍に上がり、10月には初先発を果たす。

1976年オフに金城基泰とのトレードで松原明夫と共に広島東洋カープへ移籍。

1979年限りで現役を引退。

1983年まで打撃投手を勤めた。

ストレート、カーブ、シュート、スライダーが武器。球速はかなりあるが変化球のコントロールが甘く、ピッチングに幅がないとの評があった[要出典]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1972 南海 12 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 107 24.0 21 3 16 1 2 15 1 0 11 10 3.75 1.54
1973 6 2 0 0 0 2 0 -- -- 1.000 68 15.1 11 2 12 0 0 7 0 0 7 7 4.20 1.50
1976 1 0 0 0 0 0 0 1 -- ---- 16 4.0 4 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.25
1977 広島 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 3.0 4 0 2 0 0 3 0 0 2 2 6.00 2.00
通算:4年 21 3 0 0 0 2 1 1 -- .667 204 46.1 40 5 31 1 2 26 1 0 20 19 3.72 1.53

記録

背番号

  • 24 (1972年 - 1974年)
  • 33 (1975年 - 1976年)
  • 15 (1977年)
  • 49 (1978年 - 1979年)
  • 67 (1980年 - 1983年)

脚注

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、152ページ
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

外部リンク




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