久玉清人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 久玉清人の意味・解説 

久玉清人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 01:19 UTC 版)

久玉 清人
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 1946年
没年月日 2014年6月11日
身長
体重
173 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

久玉 清人(くだま きよと、1946年 - 2014年6月11日)は、鹿児島県出身の元アマチュア野球選手(投手)。

経歴

加世田高等学校から防衛大学校に進学。神奈川五大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1968年春秋季リーグでは連続して3位となり、秋は首位打者。同年の明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で先発、片岡建につなぐが、関西六大学選抜に敗退した。

卒業後は丸善石油に入社、都市対抗などの常連として活躍する。1970年産業対抗では、黒沢浪男(日本石油から補強)らと強力投手陣を組む。準々決勝でクラレ岡山に完投勝利。三協精機との決勝では、延長10回裏に秋元国武日本石油から補強)が会田照夫からサヨナラ2点本塁打を放ち優勝を飾る[1]。同大会の優秀選手賞を獲得。1971年都市対抗はエースとして決勝に進出。新日鐵広畑山中正竹住友金属から補強)、三沢淳の継投に抑えられ敗退するが、同大会の久慈賞を獲得した[2]。同年の社会人ベストナイン(投手)に選出され、第9回アジア野球選手権大会日本代表となる。1973年都市対抗古賀正明との継投で準々決勝に進み、日立製作所佐藤博と投げ合うが惜敗[2]。同年の第10回アジア野球選手権大会インターコンチネンタルカップでも日本代表に選出されている。

現役引退後は社業に戻り、コスモ石油取締役などを歴任した[3]

脚注

  1. ^ 「日本社会人野球協会報1970」日本社会人野球協会 1971年
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ 久玉清人氏が死去 元コスモ石油取締役」日本経済新聞 2014年6月11日



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  久玉清人のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「久玉清人」の関連用語

久玉清人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



久玉清人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの久玉清人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS