秋元国武とは? わかりやすく解説

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秋元国武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 03:35 UTC 版)

秋元 国武
基本情報
国籍 日本
出身地 徳島県鳴門市
生年月日 1945年
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県鳴門市出身のアマチュア野球選手(一塁手外野手)。

経歴

徳島県立撫養高等学校では長池徳士の2年後輩。

1963年夏の甲子園県予選準決勝に進むが海南高に敗退。卒業後は法政大学へ進学、一塁手として活躍する。東京六大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。

1966年秋季リーグでは打率.375で首位打者となり、ベストナイン(一塁手)に選出される。

1967年秋季リーグでは、2年生エース山中正竹を擁し優勝に貢献[1]。大学同期に鶴岡泰、1年下には田淵幸一らがいる。

大学卒業後は日本石油に入社。1968年から都市対抗に7年連続出場。同年の都市対抗では準決勝で河合楽器と対戦、8回に同点本塁打を放つが二塁を踏まなかったと判定され、放棄試合寸前となる「幻の本塁打」事件で知られる[2]

1969年産業対抗では決勝に進むが、北海道拓殖銀行に敗れ準優勝にとどまる[3]。同年の社会人ベストナイン(一塁手)に選出され、プロ野球ドラフト会議で、阪急ブレーブスから3位指名されたが入団を拒否。

1970年都市対抗では準々決勝に進むが、三菱重工神戸の橘谷健[4]らに抑えられ敗退[2]。同年の産業対抗では、丸善石油に補強され外野手(右翼手)として出場。三協精機との決勝では延長10回裏に会田照夫からサヨナラ2点本塁打を放つ[5]。同大会の優秀選手賞を獲得。

1971年都市対抗でも、奥江英幸の好投もあって準々決勝に進むが丸善石油に敗れた[2]

1972年の産業対抗は五月女豊の好投もあって勝ち進み、決勝で鐘淵化学を降しチームの初優勝に貢献、優秀選手に選出された[6]

1973年産業対抗は準決勝で熊谷組に敗退、この大会でも優秀選手に選出されている[7]

脚注

  1. ^ 東京六大学野球連盟(記録)」(一財)東京六大学野球連盟
  2. ^ a b c 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ 「日本社会人野球協会報1969」日本社会人野球協会 1970年
  4. ^ 川崎重工からの補強選手
  5. ^ 「日本社会人野球協会報1970」日本社会人野球協会 1971年
  6. ^ 「日本社会人野球協会報1972」日本社会人野球協会 1973年
  7. ^ 「日本社会人野球協会会報1973」日本社会人野球協会 1974年

関連項目




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