鐘淵化学硬式野球部とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鐘淵化学硬式野球部の意味・解説 

鐘淵化学硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 09:25 UTC 版)

鐘淵化学硬式野球部
チーム名(通称) 鐘淵化学、カネカ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 戦前
廃部 1992年1978年から休部)
チーム名の遍歴
  • 鐘紡高砂 (? - 1949)
  • 鐘淵化学 (1949 - 1956)
  • 鐘化カネカロン (1957 - 1965)
  • 鐘淵化学 (1966 - 1977)
本拠地自治体
都市対抗野球大会
出場回数 17回
最近の出場 1975年
最高成績 準優勝
日本産業対抗野球大会
出場回数 18回
最近の出場 1973年
最高成績 優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 3回
最近の出場 1977年
最高成績 優勝
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

鐘淵化学硬式野球部(かねがふちかがくこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県高砂市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1978年から休部し、1992年限りで解散した。

運営母体は、化学メーカー鐘淵化学工業

概要

鐘淵紡績の高砂工業所を拠点に、『鐘紡高砂硬式野球部』として戦前より活動していた[1]

1947年都市対抗野球に初出場すると、準決勝で大会史上3例目となる全員安打を記録し決勝まで駒を進めるが、大日本土木に敗れ準優勝に終わった。

1949年9月1日、企業再建整備計画の認可に基づき、母体の非繊維事業が鐘淵紡績から鐘淵化学工業として独立。それに伴い、チーム名を『鐘淵化学硬式野球部』に改称した[1]

1950年都市対抗野球ではチーム名改称後初出場を果たす。1955年都市対抗野球では再び決勝まで進出するも以前の母体であった鐘淵紡績が保有する全鐘紡に敗れ準優勝に終わった。

1957年にチーム名を『鐘化カネカロン硬式野球部』に改称したが、1966年にチーム名を再度『鐘淵化学硬式野球部』に戻した。

1974年に同年から開催された日本選手権で初出場を果たすと、翌1975年日本選手権で初優勝を果たす。

1977年11月、母体の業績悪化のため休部が発表された[2]。その後活動再開することなく、1992年2月に正式に解散が発表された[3]

沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

かつて在籍していた主な監督・選手

脚注

  1. ^ a b “躍り出た36代表 (3)”. 毎日新聞. (1969年6月28日) 
  2. ^ “鐘化野球部が休部”. 毎日新聞: p. 15. (1977年11月1日) 
  3. ^ “鐘化野球部が廃部”. 毎日新聞. (1992年2月1日) 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鐘淵化学硬式野球部」の関連用語

鐘淵化学硬式野球部のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鐘淵化学硬式野球部のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鐘淵化学硬式野球部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS