日本産業対抗野球大会
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日本産業対抗野球大会(にほんさんぎょうたいこうやきゅうたいかい、通称サンベツ)は、1951年から1973年にかけて後楽園球場で秋季に開催されていた社会人野球のトーナメント大会。
- ^ ただし、都市対抗とは異なり、補強選手は同業他社から迎えた。第19回大会で優勝した北海道拓殖銀行から最高殊勲選手に選出された小弓場保選手は同じ金融部門の日本生命所属であった。小弓場は都市対抗でも同地区の電電近畿に補強されて橋戸賞を受賞している。
- ^ 柳川悠二『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(2017年1月30日初版刊行、小学館)第1章「PL野球部の誕生」pp.46 - 47に記載の井元俊秀(PL教団の職員やPL学園高等学校硬式野球部の監督などを歴任)による証言を参照。井元によれば、PL教団がこの大会に参加したのは立正佼成会からの対抗意識からで、同校を指導する人材の育成も兼ねていたという。
- ^ 阪神尼崎駅近くの尼崎中央商店街にあった。1957年頃に閉店。当時、野球好きのオーナーが引退直後の元プロ選手丸山二三雄などを集めて結成したという。
- ^ 日刊スポーツ連載コラム『野球の国から』、「社会人野球今昔 尼崎キャバレー野球団」(大阪本社版2019年6月25日 - 29日)。キャバレー春美はチーム名「春美クラブ」として、第2回大会で「百貨店・商業部門」代表として出場(部門予選で優勝した北海道農協連棄権による代替出場)。
- ^ “店の娘に手ぇつけたらあかん/社会人野球今昔”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2019年6月27日) 2019年6月30日閲覧。
- ^ 金融部門が不参加
- ^ a b 炭鉱部門が不参加
- ^ 炭鉱部門と化学繊維部門が不参加
- ^ 国鉄部門が不参加
- ^ 化学繊維部門が不参加
- ^ 当時の文献で「初出場」とされているのでここに分類した。前身の日本熱学は都市対抗に出場している。
- 1 日本産業対抗野球大会とは
- 2 日本産業対抗野球大会の概要
- 3 産業対抗には出場したが都市対抗本大会には出場できなかったチーム
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