JR東日本東北硬式野球部とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > JR東日本東北硬式野球部の意味・解説 

JR東日本東北硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 06:18 UTC 版)

JR東日本東北硬式野球部
チーム名(通称) JR東北
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1919年
チーム名の遍歴 仙台鉄道管理局(1919年)→
仙台鉄道局(1920年~1949年)→
仙台鉄道管理局(1950年~1987年)→
JR東日本東北(1987年~)
本拠地自治体 宮城県仙台市
練習グラウンド JR東日本東北グラウンド(宮城県利府町
チームカラー 黄緑色
監督 西村亮
都市対抗野球大会
出場回数 30回
最近の出場 2024年
最高成績 準優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 19回
最近の出場 2018年
最高成績 4強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

JR東日本東北硬式野球部(ジェイアールひがしにほん とうほくこうしきやきゅうぶ)は、宮城県仙台市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(合宿所・練習グラウンドは宮城県宮城郡利府町に所在する)。

概要

チームの歴史は古く、1919年大正8年)に創部した時代までさかのぼり、都市対抗野球の歴史よりも長い。戦前の同大会では、16回のうち12回に出場するなど輝かしい実績を誇ったが、戦後は低迷が続いた。 1987年昭和62年)に国鉄が民営化されると盛岡秋田の各鉄道管理局チームを統合して「JR東日本東北」として再スタートを切った。1995年平成7年)に都市対抗野球大会への出場を決めたが、実に53年ぶりの出場であった。盛岡・秋田は一度クラブチームとして活動したが、改めて支社直属の野球部として再編されている。なお、旧盛岡鉄道管理局が母体だった「盛岡倶楽部」は、旧岩手銀行硬式野球部の廃部後の後継の一つ[1]でもあったため、支社野球部再発足後も存続して活動している。

近年では七十七銀行とともに東北勢の核となる活躍を見せている。2011年(平成23年)の東日本大震災を受け、一時活動を休止して本業に専念した。これを乗り越えて出場した第82回都市対抗野球大会ではチーム史上初のベスト4に進出した。これに敬意を表して、特別に「がんばろう!!日本特別賞」が大会本部より授与された。

第95回都市対抗野球大会には、県勢初となる決勝進出を果たした。

JR東日本硬式野球部のような独自の応援部は無いが、Suicaのペンギンの着ぐるみが登場することもある[2]。着ぐるみは複数存在しているため、2022年にJR東日本と対戦する際には2体が登場しそれぞれのチームを応援する[3]

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

仙台鉄道局

仙台鉄道管理局

JR東日本東北

国鉄・東北地区各鉄道管理局野球部出身プロ野球選手

盛岡鉄道管理局

元プロ野球選手の競技者登録

在籍者・関係者

脚注

  1. ^ 盛岡倶楽部に合流しなかった社員を中心に別に「盛岡球友倶楽部」も組織された。
  2. ^ Suicaのペンギンが連続出場 「別の個体」説も 都市対抗”. 毎日新聞. 2025年4月6日閲覧。
  3. ^ 「Suicaペンギン2羽いたんだ」 JR東対決で同時登場 都市対抗”. 毎日新聞. 2025年4月6日閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「JR東日本東北硬式野球部」の関連用語

JR東日本東北硬式野球部のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



JR東日本東北硬式野球部のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのJR東日本東北硬式野球部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS