日立製作所硬式野球部とは? わかりやすく解説

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日立製作所硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 13:06 UTC 版)

日立製作所硬式野球部
チーム名(通称) 日立製作所、日立、日製
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1916年
チーム名の遍歴
  • 日立製作所 (1916 - )
本拠地自治体
練習グラウンド 日立製作所会瀬野球場
チームカラー オレンジ色
監督 林治郎
都市対抗野球大会
出場回数 40回
最近の出場 2022年
最高成績 準優勝
日本産業対抗野球大会
出場回数 9回
最近の出場 1970年
最高成績 4強
社会人野球日本選手権大会
出場回数 14回
最近の出場 2024年
最高成績 8強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日立製作所硬式野球部(ひたちせいさくしょこうしきやきゅうぶ)は、茨城県日立市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。

運営母体は、電機メーカーであり日立グループの中核企業である日立製作所都市対抗野球大会では、スタンドを埋め尽くすオレンジ色のウェアでの大応援団が名物となっている。

概要

1916年日立製作所の硬式野球部として創部。関東では、最古参チームの1つである。かつては、同じ茨城県日立市に本拠地を置いていた日本鉱業日立と代表権を争っていた。創部も同時期であるためお互い切磋琢磨しあう間柄であり、2チームの定期戦は「お山の早慶戦」とも呼ばれ地元で親しまれていた[1]

日本鉱業日立が廃部した後は、日本製鉄鹿島(茨城県鹿嶋市)、SUBARU群馬県太田市)と共に北関東3強の一角を担い、毎年熾烈な代表権争いを繰り広げている。

1955年都市対抗野球に、1974年日本選手権にそれぞれ初出場している。2大大会には数多く出場しているが、まだ優勝経験がない。

近年は、元プロ野球選手を積極的に受け入れチーム力の向上に務めており、創部100周年となった2016年都市対抗野球では初めて決勝に進出しトヨタ自動車と対戦したが、0-4で敗れ準優勝となった。

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

かつて在籍していた選手・コーチ・監督

脚注

関連項目

外部リンク




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