D.J.ホールトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/15 09:10 UTC 版)
読売ジャイアンツ #54 | |
---|---|
![]() |
|
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | カリフォルニア州フラートン |
生年月日 | 1979年8月12日(33歳) |
身長 体重 |
193 cm 107 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 MLBドラフト11巡目 |
初出場 | MLB / 2005年4月9日 NPB / 2008年4月11日 |
最終出場 | MLB / 2007年9月30日 |
年俸 | 2億7,000万円(2013年) ※2012年から2年契約 |
経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
この表について
|
デニス・ショーン・ホールトン・ジュニア(Dennis Sean "D. J." Houlton Jr.、1979年8月12日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州フラートン出身。
目次 |
経歴
アマチュア時代
1997年のMLBドラフト55巡目でシアトル・マリナーズに指名されるが、契約せずパシフィック大学に進学。在学中の2001年5月11日、対カリフォルニア大学リバーサイド校戦でノーヒットノーランを達成した。
アストロズ・ドジャース時代
同年のMLBドラフト11巡目でヒューストン・アストロズに指名され、6月9日に契約した。2002年までは1A、2003年から2004年は2Aで過ごした後に、12月13日のルール5ドラフトでロサンゼルス・ドジャースに指名され、移籍した。
2005年は初のメジャー昇格を果たし、35試合登板(19試合先発)で6勝9敗、防御率5.16という成績を残した。オフにGMのポール・デポデスタ、監督のジム・トレーシーが解任され首脳陣が一新された2006年はメジャーに昇格できず、3Aでも9勝11敗、防御率5.60と不振だった。2007年はシーズン前半を3Aで過ごしたが、7月にメジャーに昇格。18試合にリリーフ登板して0勝2敗、防御率4.18だった。
シーズン終了後、福岡ソフトバンクホークスが緊急補強リストの筆頭候補に上げ、ドジャースからソフトバンクへ契約が譲渡された。
ソフトバンク時代
2008年はキャンプ中の故障で出遅れるも、4月11日の対西武戦で中継ぎとして初登板を果たすと、三者連続三振で切り抜けた。その後、小椋真介・久米勇紀と共にリリーフ陣の一角として活躍するが、やがて打ち込まれる試合が増えていき、一度は二軍に降格。後半戦から先発に配置転換されると、安定した投球で北京五輪によって離脱した和田毅・杉内俊哉の穴を埋める救世主的存在に成長した。しかし、徐々に対戦相手に研究されたことで打ち込まれたり、好投しても打線の援護が無く勝ち星が伸び悩んだ。
2009年は開幕から先発ローテーションに入り、杉内と並んで左右の両輪として活躍。9月5日の対西武戦で10勝目を挙げた。この年はリーグ優勝を果たした日本ハム戦に強く、6試合の登板で4勝を挙げた。
2010年5月19日の対阪神戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で右脚を痛め、21日に登録抹消された。7月19日の対西武戦で勝利を挙げたが、9月1日に再び抹消された。10月16日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦(対ロッテ戦)で好投して勝利を挙げたが、同年オフに球団から大幅減俸を提示され、残留交渉が難航したことにより保留選手名簿から外れ[1]、12月2日に自由契約選手として公示された[2]。その後も交渉が続けられた結果、ホールトンが減俸を受け入れて残留することが決まった[3]。1月14日に再契約[4]。
2011年は開幕から安定した投球を見せ、4月20日の対楽天戦(北九州市民球場)でシーズン初勝利。4月27日の対日本ハム戦では自身初の完封勝利を挙げたほか、武田勝の対ソフトバンク戦の連勝を6で止めた。7月12日の対楽天戦で2年ぶりとなる10勝目を挙げた。9月13日の対西武戦(ヤフードーム)で15勝目を記録。最終的に19勝を挙げ、田中将大と並び最多勝のタイトルを獲得した。この年に行われたクライマックスシリーズファイナルステージ(対西武)は、ホールトンが先発登板する前に3連勝(1勝のアドバンテージを含む4勝0敗)したことにより登板機会がなかった。11月16日、日本シリーズ第4戦に先発し、5回を投げて勝利投手となった。シーズンオフには(2010年オフと同様に)残留交渉が難航し保留選手名簿から外れ自由契約となった[5]。
同年12月16日、読売ジャイアンツと2年総額500万ドルでの契約合意が発表された。背番号はソフトバンク時代と同じ54[6]。
巨人時代
2012年8月11日のヤクルト戦で、2011年6月15日のオリックスのアルフレッド・フィガロ以来、自身初&この年12球団初の投手でソロホームランを放った。シーズン序盤は勝ち負けを交互に繰り返す等不安定であったが、交流戦を境に調子を取り戻し、7月8日の阪神戦(東京ドーム)から9月8日のヤクルト戦(神宮)まで6連勝を記録。最終的には12勝8敗・防御率2.45と、セ・リーグでも十分な結果を残した。また、交流戦優勝決定戦となった6月16日の対楽天戦(Kスタ宮城)でも勝利投手となった。ナイトゲームでは6勝7敗、防御率3.54とやや打ち込まれたものの、デーゲームには滅法強く6勝1敗、防御率0.84と抜群の相性を誇った。
プレースタイル
長身からオーバースローで投げ下ろす、最速148km/h、平均球速138km/h[7]の速球とスライダーと縦の大きなカーブ、チェンジアップを駆使した緩急の投球が特長。
高い制球力も持っているが、「ストライクゾーンに集めすぎる癖がある」と柳田聖人に指摘されている。
打線の援護に恵まれることが多く、例年得点援護率が高い。2012年にはセ・リーグ最上位の援護率4.88を記録した。
人物
非常に手のひらが大きく、30cmを超える[8]。来日以降、箸の使い方に戸惑っていると語っている[9]。
東京スポーツの手記で「福岡もホークスも大好きだ」と語っている[10]。
小さい頃からのディズニーの大ファンで、学生時代はディズニーランドの清掃員のアルバイトをしていたことがある[11]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | LAD | 35 | 19 | 0 | 0 | 0 | 6 | 9 | 0 | 0 | .400 | 578 | 129.0 | 145 | 21 | 52 | 3 | 8 | 90 | 2 | 0 | 79 | 74 | 5.16 | 1.53 |
2007 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | .000 | 113 | 28.0 | 28 | 5 | 7 | 0 | 0 | 21 | 0 | 0 | 14 | 13 | 4.18 | 1.25 | |
2008 | ソフトバンク | 28 | 11 | 0 | 0 | 0 | 4 | 7 | 6 | 0 | .364 | 366 | 84.1 | 82 | 10 | 31 | 2 | 3 | 86 | 0 | 0 | 44 | 40 | 4.27 | 1.34 |
2009 | 25 | 25 | 3 | 0 | 1 | 11 | 8 | 0 | 0 | .579 | 680 | 171.0 | 137 | 22 | 43 | 0 | 6 | 138 | 2 | 0 | 58 | 55 | 2.89 | 1.05 | |
2010 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 8 | 6 | 0 | 0 | .571 | 349 | 79.0 | 97 | 11 | 25 | 0 | 1 | 69 | 1 | 0 | 52 | 50 | 5.70 | 1.54 | |
2011 | 26 | 26 | 3 | 2 | 2 | 19 | 6 | 0 | 0 | .760 | 680 | 172.1 | 132 | 8 | 36 | 0 | 7 | 121 | 2 | 0 | 43 | 42 | 2.19 | 0.97 | |
2012 | 巨人 | 25 | 25 | 0 | 0 | 0 | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 630 | 158.0 | 116 | 11 | 44 | 1 | 8 | 132 | 0 | 0 | 46 | 43 | 2.45 | 1.01 |
MLB:2年 | 53 | 19 | 0 | 0 | 0 | 6 | 11 | 0 | 2 | .353 | 691 | 157.0 | 173 | 26 | 59 | 3 | 8 | 111 | 2 | 0 | 93 | 87 | 4.99 | 1.48 | |
NPB:5年 | 120 | 103 | 6 | 2 | 3 | 54 | 35 | 6 | 0 | .607 | 2705 | 664.2 | 564 | 62 | 179 | 3 | 25 | 546 | 5 | 0 | 243 | 230 | 3.11 | 1.12 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- NPB
- 最多勝:1回 (2011年)
記録
- NPB投手記録
- 初登板:2008年4月11日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に赤田将吾から空振り三振
- 初セーブ:2008年4月12日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に4番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初勝利:2008年4月29日、対埼玉西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、11回裏に5番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初先発:2008年7月2日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、5回1/3を4失点
- 初先発勝利:2008年7月26日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回1失点
- 初完投勝利:2009年6月8日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
- 初完封勝利:2011年4月27日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、5奪三振1四球
- NPB打撃記録
- 初安打・初打点:2012年4月26日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、3回裏に阿斗里から左前適時打
- 初本塁打:2012年8月11日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(東京ドーム)、2回裏に館山昌平から左越ソロ
背番号
- 27 (2005年)
- 54 (2007年、2009年 - )
- 00 (2008年)
脚注
- ^ ホールトン交渉難航、退団も…ソフトバンク - スポーツ報知 2010年11月29日
- ^ ソフトバンク、ホールトンを自由契約に - 読売新聞 2010年12月3日
- ^ ソフトバンク、ホールトン残留へ 来季4年目
- ^ “DJホールトン選手契約のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス (2010年1月14日). 2011年12月22日閲覧。
- ^ “【ソフトB】最多勝ホールトン自由契約に”. 日刊スポーツ (2011年11月30日). 2011年12月22日閲覧。
- ^ “巨人がホールトン獲得 今季のパ最多勝右腕”. 共同通信 (2011年12月16日). 2011年12月22日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、129頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ ホールトンにホレた 首脳陣くぎ付け - 西日本スポーツ 2008年2月21日
- ^ ソフトBホールトン「はし」に苦戦 - nikkansports.com 2008年2月28日
- ^ ホールトン「福岡もホークスも大好きだ」 - 2011年10月4日
- ^ 冷静沈着・ホールトン、リベンジの5回無失点,スポーツ報知,2012年10月23日
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
|
|
固有名詞の分類
- D.J.ホールトンのページへのリンク