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D.J.ミッチェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 02:08 UTC 版)

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D.J.ミッチェル
D.J.Mitchell
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム
生年月日 (1987-05-13) 1987年5月13日(32歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト10巡目
初出場 2012年5月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリアム・ダグラス・ジャマール・ミッチェル(William Douglas Jammal Mitchell, 1987年5月13日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム出身のプロ野球選手投手)。現在はフリーエージェント。

経歴

1987年アメリカノースカロライナ州ウィンストン・セーラムに生まれる。

ヤンキース時代

2008年、MLBドラフト10巡目(全体320位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、8月8日に契約。

2009年はA級チャールストン・リバードッグスで6試合に登板し、4勝1敗、防御率1.95だった。5月にA+級タンパ・ヤンキースへ昇格。19試合に登板し、8勝6敗、防御率2.87だった。

2010年はスプリングトレーニングに参加。AA級トレントン・サンダーで23試合に登板し、11勝4敗、防御率4.06だった。8月21日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに昇格[1]。3試合に登板し、2勝0敗、防御率3.57だった。

2011年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリで28試合に登板し、13勝9敗、防御率3.18だった。オフの11月18日に40人ロースターに登録された[2]

2012年3月7日にヤンキースと1年契約に合意。3月20日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ異動した。4月29日にメジャー初昇格を果たし、5月1日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。5月4日にAAA級へ降格。6月30日に再昇格したが、7月18日にAAA級へ降格した。ヤンキースでは4試合に登板し、防御率3.86だった。

ヤンキース退団後

2012年7月23日、ダニー・ファーカーとともにイチローとの2対1トレードでシアトル・マリナーズへ移籍した[3]。移籍後はAAA級タコマ・レイニアーズでプレー。8試合に登板し、3勝2敗、防御率2.96だった。オフの12月26日にDFAとなった。

2013年1月4日にAAA級タコマへ降格。3月31日にマリナーズとメジャー契約を結んだが、4月11日にDFAとなり[4]、4月13日にFAとなった。4月22日ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[5]。AAA級ラスベガス・フィフティワンズで34試合に登板し、6勝6敗、防御率7.71だった。11月5日にFAとなった。

2014年は独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュでプレー。

2015年もブルーフィッシュと契約。

2016年8月1日にロングアイランド・ダックスへトレードされ、シーズン終了後にFAとなった。

出典

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