館山 昌平
芸名 | 館山 昌平 |
芸名フリガナ | たてやま しょうへい |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1981/3/17 |
星座 | うお座 |
干支 | 酉年 |
出身地 | 神奈川県 |
身長 | 181 cm |
URL | http://pakila.jp/tateyama-official/ |
ブログURL | http://blog.pakila.jp/tateyama/ |
プロフィール | 1981年3月17日生まれ、神奈川県出身。日大藤沢高時代、3度松坂大輔と投げ合い、内2回を延長の末0-1で敗れるなど神奈川県屈指の好投手として活躍した。その後日大に進学し3年時には東都大学春季リーグの優勝にエースとして貢献する。その年に行われたワールドカップに日本代表として出場した。 プロ入り後、1年目からローテーションに入り3年目には自信初となる2ケタ勝利をマーク。そして08シーズンには12勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得した。ヤクルト入団以来、肩、肘合わせて3度の手術を受けており球速が手術前と変わらず1年間ローテーションを守り続けた事により他球団や学生からも手術に対する問い合わせが殺到中である。また、学生時代には成績優秀で常に上位に入るなどクレーバーな面も併せ持っている。 |
職種 | スポーツ |
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館山昌平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 11:41 UTC 版)
館山 昌平(たてやま しょうへい、1981年3月17日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者、YouTuber。ベンヌ所属。
- ^ a b 日本野球機構 公式サイト
- ^ a b 「ピアノの先生を夢見た“ライパチ”少年、館山昌平をプロへと導いた“観察力”」『よみタイ』2019年2月3日。2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c 「大輔だけじゃない! 館山昌平が驚愕した「松坂世代」のすごいヤツら。「広島の1、2番コンビはイヤでした」」『Sportiva』2012年1月16日。2022年2月20日閲覧。
- ^ 館山投手、右ヒジを手術 [リンク切れ] - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
- ^ 燕・館山が1600万円増でサイン - ウェイバックマシン(2008年1月14日アーカイブ分) - サンケイスポーツ(2007年12月18日)
- ^ 週刊ベースボール2009年2/21号増刊 54頁「同じ名前つながりで大使に」
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- ^ 「“マジック”呼んだ!館山セ界のトップ11勝」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン、2009年7月23日。2013年4月13日閲覧。
- ^ 「館山大一番で完封!ヤクルト3連勝で3位浮上」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン、2009年10月8日。2013年4月13日閲覧。
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- ^ ヤク館山が右肘手術へ 前半戦復帰は絶望日刊スポーツ 2014年4月8日掲載
- ^ 燕・館山、3度目の右肘靱帯再建手術で今季絶望…復帰まで約1年sanspo.com 2014年4月12日掲載
- ^ ヤクルト・館山 右腕に打球受け無念の降板 2年ぶり勝利ならずスポにアネックス 2018年8月22日掲載
- ^ 「ヤクルト館山が引退会見「後悔はありません」」『日刊スポーツ』2019年9月13日。2019年9月14日閲覧。
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- ^ 「楽天、館山コーチらと契約せず」『サンケイスポーツ』2021年11月2日。2021年12月3日閲覧。
- ^ 館山昌平がヤクルト時代の先輩・岩村明憲に“逆オファー”してまで「福島」にやってきた理由…“投手強化”だけじゃない東北への想いSports Graphic Number Web 市川忍 2022年3月12日(2/4ページ)
- ^ 「BCリーグ福島 元ヤクルトの館山昌平氏の投手チーフコーチ就任発表」『スポーツニッポン』2021年12月3日。2021年12月3日閲覧。
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- ^ 「元ヤクルト・館山昌平氏がBC福島投手コーチ退任 今後「未定」も、ファン切実「ヤクルトに帰ってきて!」」『スポーツニッポン』2023年9月5日。2023年12月24日閲覧。
- ^ 館山昌平チャンネル
- ^ 「マルハンが硬式野球部発足 初代監督は元ヤクルトの館山昌平氏「仙台を盛り上げる」25年から公式戦参戦へ」『Sponichi Annex』2024年2月16日。2023年2月16日閲覧。
- ^ 「館山昌平氏 中学時代に吹奏楽部を断念して野球部を選んだ理由とは?「夢はピアノの先生」」『Sponichi Annex』2024年7月15日。2024年7月15日閲覧。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ 西武ドラ1十亀 あの人にそっくりnikkansports.com
- ^ 「館山がトラウマ払拭のため投げた…フォーク、外角直球、シュート」『SANSPO.COM(サンスポ)』2015年5月1日。2015年5月6日閲覧。
- ^ 「森繁和の投手考察 今週の考察対象/館山昌平[ヤクルト]」週刊ベースボールONLINE、2012年10月11日。2014年12月14日閲覧。
- ^ 「館山25回0封 神宮沸かせた」『日刊スポーツ』2011年4月3日。2014年12月13日閲覧。
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- ^ 「館山2戦連続完封!“ヤク進”9連勝で貯金6」『スポーツニッポン』2011年4月29日。2014年12月14日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール 2009年12/14号 2009プロ野球記録集計号 JANコード 4910204421296
- ^ 25館山昌平 東京ヤクルトスワローズ公式サイト[リンク切れ]
- ^ 登板する前にプロ初本塁打 館山昌平 22年ぶりの珍記録 - スポーツニッポン(2012年8月6日)
- ^ 「ヤクルト・館山、投打の活躍で阪神に連勝!ゲーム差1に迫る」『サンケイスポーツ』株式会社産経デジタル、2015年8月30日。2015年9月21日閲覧。
- ^ 「トミー・ジョン手術って? 計191針の縫い目…3度受けた楽天・館山コーチに聞く」『東京中日スポーツ』2020年6月2日。2020年6月3日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・館山が引退…9度手術、175針不屈の男ついに「穏やかな気持ち」」『SANSPO.COM(サンスポ)』2019年9月9日。2019年9月9日閲覧。
- ^ 「トミー・ジョン手術3度の館山昌平 伊藤智仁らの姿勢が励みに (1)」『NEWSポストセブン』小学館、2015年9月10日。2015年9月21日閲覧。
- ^ 「トミー・ジョン手術3度の館山昌平 伊藤智仁らの姿勢が励みに (2)」『NEWSポストセブン』小学館、2015年9月10日。2015年9月21日閲覧。
- ^ 「191針の傷「後悔ない」館山昌平からマー君への質問」『朝日新聞DIGITAL』2021年4月4日。2022年2月20日閲覧。
- ^ 「ロッカールーム『ヤクルト・館山昌平投手「村田へのあこがれが強くて25番に」/背番号』」『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2019年9月11日。2019年9月12日閲覧。
- ^ 「村田修一が松坂世代を語る。松坂大輔にエール「限界まで投げ切って」」『Sprtiva』2019年12月9日。2022年2月9日閲覧。
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