小森孝憲とは? わかりやすく解説

小森孝憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/19 00:21 UTC 版)

小森 孝憲
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都
生年月日 (1980-12-23) 1980年12月23日(43歳)
身長
体重
179 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト9巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

横浜商大高では3年夏の東神奈川大会準決勝でセンバツ優勝、夏も全国制覇する横浜高校に0-25で敗れる。北海道学生野球連盟に加盟する東農大生物産業学部に進学[1]

大学時代は稲嶺誉と共に活躍し、1年春に新人賞、最優秀投手を受賞。4年次の2002年には前年秋に続き春季リーグ最優秀投手賞を獲得し、大学選手権にも4回出場[2]、2年から登板した(4年は1回戦7回コールド完封、2回戦敗退)。日本代表候補となり、同年のプロ野球ドラフト会議で、その春のキャンプに参加していたヤクルトスワローズから9巡目でされ入団した。東京農大生物産業学部時代は食品科学科に在籍し、野球部の活動と並行して「ヨーグルトの物性について」研究を行っていた。

プロ一年目の2003年シーズンは二軍で先発5試合含む[3]33試合に登板し、2勝5敗0S、防御率は6.46の成績をのこす[3]

2004年シーズンも一軍での登板はなく、二軍ですべてリリーフとして33試合に登板し[4]、2勝1敗0Sの成績を残したが[4]、防御率は5.17と向上が見られた[4]

1軍に昇格することなく、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。監督に就任したばかりの古田敦也プレーイングマネージャー直々に監督専属広報への転身を打診され、現役を引退し監督専属広報に就任した。現役最終年の成績は38試合に登板し、1勝0敗0S、防御率3.45の成績であった[5]

2007年、古田の監督退任に伴いヤクルトを退団。その後、スポーツメーカーのZETTに入社した[6]

選手としての特徴

投球フォームはサイドスロー[1]。ストレートの最速は143km/hで持ち球はスライダーとシンカー[1]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 59 (2003年 - 2005年)

脚注

  1. ^ a b c 12球団全選手カラー百科名鑑 2003 日本スポーツ出版社 P52
  2. ^ 2003スポニチプロ野球プレイヤーズ名鑑
  3. ^ a b 12球団全選手カラー百科名鑑 2004 日本スポーツ出版社 P84
  4. ^ a b c 12球団全選手カラー百科名鑑 2005 日本スポーツ出版社 P150
  5. ^ NPB 2005年度 東京ヤクルトスワローズ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. 2013年8月12日閲覧。
  6. ^ 『レッドスター ベースボールクリニック』 開催のお知らせ。”. 2016年4月13日閲覧。

関連項目

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