背番号『25』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:20 UTC 版)
大学時代からプロを経て栃木ゴールデンブレーブスで引退するまで背番号はずっと「25」を着けた。日大で同期だった館山昌平は、プロ入りする際に村田が横浜でも25を着けることを知り、館山にとって日大時代から村田が特別な存在だったこともあり、館山もヤクルトに入団する際には背番号25を選んだ。また、高校時代にバッテリーを組み、大学でも共にプレーした大野隆治も入団したダイエーでは背番号25を着け、日大同期3人がプロ野球で揃って背番号25を着けていた。村田が横浜から巨人に移籍した2012年からは、横浜では村田のことを慕う筒香嘉智が背番号を8から25に変更し受け継ぎ、巨人を退団してからは幼い頃から村田に憧れ慕う岡本和真が受け継いだ。その後の2人の活躍に村田は喜び、「他の選手が着ける時には、『今度はお前の番号になるように頑張れ』と渡して欲しいと思いますね」と語っていた。
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