背番号に関するエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:57 UTC 版)
「マイケル・ジョーダン」の記事における「背番号に関するエピソード」の解説
1995年の最初の復帰に際して、今までの背番号を“23”から“45”へ変更した。45番はMLBへの挑戦の際につけていた番号であり、父親が最後に見た23番のユニフォームの歴史を変えたくないという思いがあった。しかし、前述のオーランド・マジックとのプレーオフ・カンファレンス・セミファイナル初戦でミスを連発し、それに対する気分転換のため、ブルズの用具係の提案で23番のユニフォームを着用した。この行為はリーグからクレームがつき45番に戻すよう発表がされたが、ジョーダンが拒否。ブルズもそれを支持したため、シーズン終了後2万5000ドル罰金を科せられた。 元々45番は尊敬する兄が学生時代につけていた番号であり、23番は兄のせめて半分以上、上手くなりたいという想いから選んだものだった。 ジョーダンの背番号23番はマイアミ・ヒートの永久欠番になっているが、ジョーダンはマイアミ・ヒートの選手として一試合足りともプレイをした経歴がない。にも関わらず永久欠番となっているのは、マイアミ・ヒートの球団社長であったパット・ライリーが2003年にジョーダンの所属するワシントン・ウィザーズとの対戦を前にジョーダンに敬意を表して23番を永久欠番としたためである。
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