小林雅英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 07:02 UTC 版)
小林 雅英(こばやし まさひで、1974年5月24日 - )は、元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。山梨県大月市[1]出身。野球解説者。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。
注釈
出典
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、227ページ
- ^ ロッテ勝利の方程式YFK復活!05年日本一から10周年記念 スポーツニッポン(2015年5月14日) 2016年1月10日閲覧
- ^ 1999プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b c d e 惜別球人『週刊ベースボール』2012年1月9・16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-1/9.16, 47-51頁。
- ^ ベースボールマガジン社「2001ベースボール・レコード・ブック」 49頁。
- ^ 週刊ベースボール2002年12/16号 26~27頁 「2002年レコードの周辺3 小林雅英の33試合連続セーブポイント」より。
- ^ 「千葉ロッテマリーンズ チームヒストリー」『千葉ロッテマリーンズ公式サイト』。2017年12月29日閲覧。
- ^ 「各球団の「歴代最高年俸」っておいくら?」『BASEBALL KING』2016年12月28日。2017年12月30日閲覧。
- ^ 「インディアンスが小林雅の契約を解除」『日刊スポーツ』2009年7月19日。2021年12月29日閲覧。
- ^ 「小林雅が都内で汗、体調の良さをアピール」『日刊スポーツ』2009年8月22日。2022年8月1日閲覧。
- ^ 「小林雅が来季復帰目指し独立L群馬で練習」『日刊スポーツ』2009年9月1日。2022年8月1日閲覧。
- ^ 「【オリックス】小林雅を獲得、背番号34」『日刊スポーツ』2010年11月19日。2021年12月29日閲覧。
- ^ 元祖“雑草魂”西本聖が初登場!伝家の宝刀・シュートの極意を語る【ピッチャーズバイブル】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】
- ^ 「小林雅英投手 引退およびコーチ就任のお知らせ」『オリックス・バファローズ』2011年11月1日。2011年11月1日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール2014年12月8日号、P30
- ^ オリックス 西本コーチら4コーチと契約結ばず 4選手に戦力外通告 スポーツニッポン 2014年10月1日配信
- ^ 小林雅英氏投手コーチ就任のお知らせ
- ^ ロッテ 小林雅英1軍投手コーチが退団 チーム防御率はリーグ5位 スポーツニッポン 2018年10月14日
- ^ 「元ロッテ小林雅英氏が社会人エイジェックのコーチに」『日刊スポーツ』2021年3月8日。2021年3月8日閲覧。
- ^ 埼玉新聞2021年3月4日「元ロッテ小林投手が講演」
- ^ a b c d 小関順二『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクト、2007年3月、124-125頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ 小関順二『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクト、2006年3月、10-11頁。ISBN 4-7572-1246-1。
- ^ a b 「米1年目、小林雅が語る諦めと切り替えの美学。」『文藝春秋』2008年10月23日。2017年12月30日閲覧。
- ^ 「守護神が流した唯一の涙・小林雅英 引退模様 2011」『日本経済新聞』2011年12月30日。2017年12月29日閲覧。
- ^ 「あれ、絶対に別人だ…」甲子園出場への渇望が生んだ、前代未聞の“替え玉事件” AERA 2020年7月19日付。
- ^ 小林雅のはずが…吉野さっそう登場、慌ててベンチへ スポニチアネックス、2011年4月28日配信、2014年8月27日閲覧。
固有名詞の分類
読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 | 本原正治 田中太一 小林雅英 呉昌征 クライド・ライト |
千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 | 前田幸長 井辺康二 小林雅英 呉昌征 林孝哉 |
クリーブランド・インディアンスの選手 | オスカー・ギャンブル ロベルト・アロマー 小林雅英 ライアン・トンプソン リック・サトクリフ |
オリックス・バファローズの選手 | 五島裕二 木元邦之 小林雅英 土井健大 岩隈久志 |
オリンピック野球日本代表選手 | 上原浩治 中島裕之 小林雅英 藤川球児 和田一浩 |
日本のオリンピック銅メダリスト | 西村昌樹 小山勉 小林雅英 十文字貴信 中村礼子 |
- 小林雅英のページへのリンク