出場辞退
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出場校の不祥事(暴力事件やその他の問題行為、出場選手の期末試験免除等学校側の規約違反など)により地方大会、及び全国大会の出場を辞退するケースがある。これらは後日高野連からの処分も受けることもある。また地方大会では規定人数未満などやむを得ない理由で出場を辞退したケースもある。全国大会では第8回の新潟商が出場直前に急病人が続出し、出場を辞退している。以下は選抜大会・選手権大会における全国大会出場決定後に辞退した学校の一覧。 開催年大会校名辞退の要因代替出場校代替出場校の成績1922年 夏・第8回 新潟商(新潟) 部員の急病による人数不足 なし 1935年 春・第12回 浪華商(大阪) 兄弟校の経営トラブルと学校の不審火 中京商(愛知) ベスト8 1939年 夏・第25回 帝京商(東京) 未登録選手の出場 早稲田実(東京) ベスト8 日大三中(東京) 選手資格に抵触する選手の出場 1952年 春・第24回 門司東(福岡) 野球部員への期末試験免除 長崎商(長崎) ベスト8 1958年 春・第30回 浪華商(大阪) 一般生徒の恐喝事件 和歌山工(和歌山) 初戦敗退 1965年 春・第37回 高知商(高知) 野球部員の他校野球部員への傷害事件 今治南(愛媛) 初戦敗退 1967年 春・第39回 津山商(岡山) 応援団員の暴行致傷事件 倉敷工(岡山) 初戦敗退 1971年 春・第43回 北海(北海道) 一般生徒の暴力事件 芦別工(北海道) 初戦敗退 1975年 春・第47回 門司工(福岡) 一般生徒の住居侵入・暴行未遂事件 佐世保工(長崎) 初戦敗退 1984年 春・第56回 函館有斗(北海道) 部員による乗用車でのひき逃げ事故 砂川北(北海道) 初戦敗退 1987年 春・第59回 東海大浦安(千葉) 引退した3年生部員による傷害事件 常総学院(茨城) 初戦敗退 1992年 春・第64回 神戸弘陵(兵庫) 野球部員の喫煙 育英(兵庫) ベスト8 2000年 春・第72回 敦賀気比(福井) 野球部員の無免許運転による事故 高岡第一(富山) 初戦敗退 2005年 夏・第87回 明徳義塾(高知) 野球部員の喫煙と部内暴力 高知(高知) 初戦敗退 2006年 春・第78回 駒大苫小牧(北海道) 卒業した3年生部員の飲酒・喫煙 北海道栄(北海道) 初戦敗退 2021年 夏・第103回 宮崎商(宮崎) 部員のCOVID-19感染 なし 東北学院(宮城) なし 2022年 春・第94回 京都国際(京都) 部員のCOVID-19感染 近江(滋賀) 準優勝 広島商(広島) なし
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出場辞退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:14 UTC 版)
出場歌手発表時、「誰が出場したか」と同様に、「誰が出場しなかったか」にも注目が集まる。特に1980年代からはミュージシャン系の歌手を中心に「辞退をすることがステータス」「出たら負け」という風潮が高まり、出場の打診を歌手サイドの意思で断る事例が増えた。これらのアーティストは「出場辞退組」と呼ばれるようになる。辞退する理由はさまざまで、知名度が出てきたころに数度だけ出場する例(THE ALFEE、サザンオールスターズなど)、NHKとの不和が原因で出場しない例(アリスなど)、紅白のコンセプトに賛同しない例(小田和正、Mr.Childrenなど)などである。但し、これらのアーティストの中でも後年になって出場するケースも出ている。 またB'zは年末年始は仕事をしないというコンセプトから、30年以上出場していない。 また、常連歌手がある時点で自発的に「勇退」を宣言、翌年から出演を取り止める例(北島三郎、森進一など)もある。最後の出場回の前に宣言したときには、最後のステージとして花を添えることも可能である。一方で、落選したのを契機に「勇退」を宣言するケースもある。常連歌手など功労者を落選させる場合、番組側が該当歌手の名誉のために、公式には「辞退した」ことにさせる場合がある。 なお、出場が正式決定してから辞退し、代替出場の歌手が立てられたケースは少ないものの、以下の事例がある。 第2回(1952年) 松島詩子 - 本番当日に交通事故で負傷したため。代役は越路吹雪。 第6回(1955年) サンディー・シムス - 飛行機が欠航した影響で、本番当日までに滞在先の香港から東京に戻れず。代役は芦野宏。 第7回(1956年) 雪村いづみ - 本番当日の急病(胃痙攣)のため。代役は間に合わず、雪村の親友である江利チエミが出場者の印の赤い花を2つ胸につけて出場。 第21回(1970年) 江利チエミ - 「ヒット曲がない」という歌手側の意向。代役は日吉ミミ。 第22回(1971年) 内山田洋とクール・ファイブ - ボーカルの前川清の急病。代役はフォーリーブス。 第37回(1986年) 北島三郎・山本譲二・鳥羽一郎 - 北島と山本はこの年の年初に暴力団稲川会の新年会に招かれていたことが発覚したことにより辞退。鳥羽と角川博が代役として出場が決定するも、鳥羽が自身も過去に稲川会と関わりがあったことから、NHKの偽善を批判し辞退。鳥羽の代役はシブがき隊。 第39回(1988年) 田原俊彦 - 当初、レコード会社・所属事務所の同意を得てNHKが出場を決定したが、田原本人が「紅白は卒業した」として辞退を表明。代役は男闘呼組。 第42回(1991年) HOUND DOG - 歌唱曲の選曲をめぐってNHKとの間でトラブルとなり辞退。代役はバブルガム・ブラザーズ。 第55回(2004年) 後浦なつみ - 安倍なつみの詩の盗作発覚により辞退。残りの2人(後藤真希と松浦亜弥)でユニット名も改めて(後藤真希&松浦亜弥として。記録上はそれぞれをソロ歌手扱いとした)出場。 第71回(2020年) Snow Man - 21日にメンバーの一人が新型コロナウイルス(COVID-19)に感染したことが確認され、保健所から残りのメンバー8名全員が濃厚接触者に該当するとの判断が示されたため、活動を一定期間停止し、隔離生活による経過観察が行われることになり、出場辞退。代役は立てず、白組が1組少ない状態で行われた。 第72回(2021年) 松田聖子 - 娘の神田沙也加の急逝を受け、出場可否の判断を含め曲目発表が先送りされ、最終的に出場辞退。代役は立てず、紅組が1組少ない状態で行われた。 サンディー・シムス、HOUND DOG、後浦なつみは選出されたのがこの1回のみで、幻の出場となっている(後浦なつみについてはメンバー3人が別名義で出場経験あり)。このほか、出場する予定だったグループの一部の人物が病気・負傷・不祥事などの理由により欠場・出演辞退という事態になり、残りのメンバーで出場したケースも存在する。
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