出場資格の変遷
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第4回大会よりエントリー数が増えたため、予選前に参加資格審査が設けられるようになった。このためエントリーしていても当日審査を通過しなくては大会に参加できないこともある。参加資格基準は、大会毎に難易度がアップしている。 第1回:足裏の最大長さは身長より小さいこと 第2回:足裏の最大長さは足の長さ以下(足の長さとは、前後又は左右に動く軸から足裏までの長さ) 第3回:足裏の最大長さは足の長さ以下で最大20cm以下、規定演技「ボックスダンス」、3ダウン制導入 第4回:足裏・規定演技は第3回と同じ、資格審査導入 第5回:足裏の最大長さは足の長さの70%以下で最大20cm以下、規定演技「本の上り下り」、攻撃ダウン導入 第6回:第5回と同じ、予選デモの自律化 第7回:足裏の前後の長さは足の長さの60%以下、幅は40%以下、最大長さ15cm以下、規定演技「本の上り下り」、有効な攻撃以外はスリップ 第8回:足裏の前後の長さは足の長さの50%以下、幅は30%以下、最大長さ13cm以下、規定演技「走る」、しゃがみ歩行の禁止 第9回:足裏・規定演技は第8回と同じ、同じ捨て身技では1ダウンだけ 第10回:足裏の前後の長さは足の長さの50%以下、幅は30%以下、最大長さ11cm以下、規定演技「ウサギ跳び」、ヒザ角度90度以下からの歩行禁止、3秒以上の停止でスタンディングダウン 第11回:体重別足裏規定導入、規定演技「ナワ跳び&役に立つこと」、攻撃ダウン廃止、スリップ2回で1ダウン
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出場資格の変遷
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「天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会」の記事における「出場資格の変遷」の解説
第1回(1921年)- :東部/中部/近畿・四国/中国・九州の各代表4チームに出場権。 第5回(1925年)- :東京と九州代表が初参加し6チームに出場権。以後、予選の変更や大会の拡大と縮小をくり返し3~8チームに出場権。 第26回(1946年):終戦後の混乱の中、関東代表と関西代表による2チームに出場権。 第29回(1949年):関東/中部/関西/中国/九州の各代表5チームに出場権。 第30回(1950年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表の全16チームに出場権。ただし北海道と東北代表チームは辞退した。 第31回(1951年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全14チームに出場権。 第32回(1952年)- :北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全16チームに出場権。 第43回(1963年):協会推薦を含む7チームに出場権。 第44回(1964年):実業団および学生(前回優勝を含む)上位各5チームに出場権。唯一、ノックアウトトーナメントを採用しなかった。 第45回(1965年)- :日本サッカーリーグ(JSL)および全日本大学サッカー選手権大会の上位各4チームに出場権。 第52回(1972年):オープン化し、JSL1部所属チームおよび9地域代表の全24チームに出場権。 第53回(1973年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全26チームに拡大。予選が都道府県大会からになる。 第57回(1977年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全28チームに拡大(後述する第60回記念大会を除く)。 第60回(1980年):記念大会としてJSL2部の首位チームと総理大臣杯大学サッカー優勝チームを加え30チームに拡大。 第64回(1984年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全32チームに拡大。 第72回(1992年)- :日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属チームおよび9地域代表の全32チームに出場権。出場チーム数は変わらず。 第76回(1996年):Jリーグ所属チーム(16チーム)、ジャパンフットボールリーグ上位11チームと関東大学連盟上位4チーム、関西学生連盟上位2チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。第2種チームの都道府県予選への出場が可能になる。 第77回(1997年):Jリーグ所属チーム1増(17チーム)につき全81チームに拡大。 第78回(1998年):Jリーグ所属チーム1増(18チーム)につき全82チームに拡大。 第79回(1999年):Jリーグ所属チーム(J1/J2全26チーム)、日本フットボールリーグ(JFL)上位3チームと総理大臣杯大学サッカー上位3チーム、高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。 第80回(2000年):Jリーグ所属チーム1増(27チーム)に伴い総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。 第81回(2001年)- :Jリーグ所属チーム1増(28チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。 第84回(2004年):高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームの代わりにJFL代表枠を上位3チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。 第85回(2005年):Jリーグ所属チーム2増(30チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チーム、総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。また、Jリーグ同士の試合に限りスポーツ振興くじの販売を開始した。 第86回(2006年)- :Jリーグ所属チーム1増(31チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。 第88回(2008年):Jリーグ所属チーム2増(33チーム)につき全82チームに拡大。 第89回(2009年):Jリーグ所属チーム3増(36チーム)およびJFL代表枠を上位4チームに変更につき全88チームに拡大(以後総枠に変更なし)。 第90回(2010年):Jリーグ所属チーム1増(37チーム)につきJFL代表枠を上位3チームに変更。 第91回(2011年):Jリーグ所属チーム1増(38チーム)につきJFL代表枠を上位2チームに変更。また、東日本大震災の影響で宮城県は代表決定戦を行なわず、宮城県協会推薦チームが出場。 第92回(2012年):Jリーグ所属チーム2増(40チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更。総理大臣杯大学サッカー代表枠が廃止。 第94回(2014年): JFL代表枠を「アマチュアシード枠」に変更。この年は「前回大会 アマチュアカテゴリー最優秀成績チーム」とする。 第95回(2015年): 参加要件を第1種登録チームに限定。
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